奥様はコマガール (49) 父母の思い出話と僕らの思い出作り
僕は大阪出身の父と東京出身の母との間に生まれた。
遠く離れた西と東の街でそれぞれ育った男女が、20歳を超えてひょんな出会いを果たし、やがて結婚に至ったのだ。
父母はどちらも昭和24年の早生まれ、いわゆる団塊の世代の同い年で、2人が結婚したのは昭和48年、互いに24歳のときである。
当時は大阪育ちの男が東京から嫁をもらうというのはまだまだ画期的だったらしく、父母に対する周囲の風当たりもそれなりに強かったと伝え聞く。
特に大阪に嫁いできた母はさぞかし大変だったことだろう。
昔の大阪人は今以上に東京人に対する妙な過剰意識、すなわち分不相応なライバル感情みたいなものが強く、母が標準語を話すだけで、厭味な大阪人の標的になったらしい。
僕も似たような記憶がある。
小学生時代に僕が話していた大阪弁は、母の影響から少し標準語まじりの変なイントネーションだったらしく、それを散々同級生にいじられたものだ。
元々がそうなのだから、東京で暮らして15年以上になる現在の僕は、とてもネイティブ大阪人とは思えないほど大阪弁が下手くそだ。
だからといって標準語がうまいかと言われればそうでもなく、大阪弁と標準語がミックスされた奇妙な言葉を使っているのだ。