奥様はコマガール (52) 妻の言い訳に興味が湧いた夜
記事によると、ある日の深夜のコンビニで不審な男がレジにいる店員に包丁を突きつけ、現金を奪おうとしたという。
しかし、店員が首尾よく防犯ブザーを鳴らしたところ、男は缶ビールを1本奪っただけで逃走し、その後あえなく御用となった。
と、ここまではありがちな三面記事なのだが、この事件は後日談のほうが興味深い。
犯人は警察の取り調べに対して、いけしゃあしゃあとこんな言い訳をしたというのだ。
「レジで千円札と包丁を間違えて出したら、ブザーを鳴らされたんです」。
嘘をつけ。
いくらなんでも言い訳が苦しすぎるだろう。
このように人間が窮地に追い込まれたときに放つ言い訳とは、実に喜劇的でおもしろいものである。
裁判傍聴の醍醐味も、被告人の陳述(言い訳)にあるはずだ。
かくいう僕は、幼いころから父に「言い訳をするな」と叩き込まれてきた。
30代半ばになって、いまだに父に怒られたり説教されたりすることが多い僕だが、その最中の僕は頭の中にどんなに正当な抗弁が浮かんでも、絶対にそれを口にしないようにしている。
どうせ何を言っても、「言い訳するな」と封じ込められるに決まっているからだ。
そういう父のもとで育ったからか、僕も無意識のうちに言い訳に対して拒否反応を示すようになった。
したがって、我が家ではこの言い訳というものが、しばしば夫婦喧嘩の火種になる。
妻のチーは、僕が思うに比較的言い訳の多いタイプの女性だからだ。
たとえば連載第39回目で書いた着物騒動のとき、チーは着物をなかなか大阪に送らない理由(言い訳)をしばしば口にしていたのだが、僕としてはその言い訳が余計に癇に障った。
問題は着物を大阪に送ったかどうかの、結果だけなのだ。
先日もそうだ。
深夜寝る前になって、キッチンの流しに洗い物がたくさん溜まっていたのを発見した僕は、チーの「それは明日の朝、洗うから」という言葉を聞いた瞬間、眉間に深い皺を寄せた。
僕は食器の洗い物を次の日に持ち越すことが好きではないのだ。
かくして、僕は深夜の食器洗いを始めた。
我が家は共働きのため、家事をすべてチーに任せるつもりは毛頭ない。余裕のあるほうが、率先してやればいいだけのことだ。
その後、洗い物を終えた僕はようやく布団に入った。
チーは先に布団に入っており、何やら頬を膨らませている。
おそらく僕が洗い物をしたという行為が、チーにはなんとなく厭味に映ったのだろう。
おまえが洗い物を明日に持ち越すって言うから、俺が洗うはめになったんだぞ――。
僕がそう思っていると、勝手に誤解しているに違いない。
それを証拠に、チーは突然切り出した。
「やっぱり言い訳させて! 」
「はあ? 」
「色々事情があって、洗い物ができなかったの。
それを説明させてほしい」当然、僕は却下した。
言い訳を聞くのは大嫌いだ。
それに、この時点での僕は別に怒っていないのに、言い訳を聞いているうちにだんだん腹が立ってきたら損だ。
しかし、それでもチーはしつこかった。
「お願い、言い訳させて! このままだと眠れない! 」と食い下がってくる。
だから僕は仕方なく「わかった。
今から俺が少し耳を塞ぐから、その間に言い訳を発散したらいいじゃん」と折衷案を出した。
果たして折衷案が通り、僕は耳を塞ぐことになった。
そしてその間、チーは胸の内に溜まった言い訳という名のマグマを、独り言として発散していく。
「●▼■×……」手で耳を塞いでいるだけのため、かすかにチーの声が漏れ聞こえてきた。
もっとも、何を言っているかまでは聞きとれず、僕の計画は順調に進んでいく。
このままチーのストレスさえ発散させれば、何事もなく就寝できるだろう。
言い訳の内容には興味がないのだ。
ところが、である。
その後1分ほどが経過し、僕がそろそろ言い訳も終わったころだろうと思って耳から手を放すと、思わず目を丸くした。
「●▼■×……●▼■×……」まだ続いていたのだ。
僕は慌てて耳を塞ぎ直した。
たかだか洗い物をしなかったぐらいで、ここまで長い言い訳が出てくるとは、いったいチーの胸の内はどうなっているのだろう。
しかも、この後2分が経過してもまだ言い訳は終わっておらず、3分が経過してもまだチーは独り言を続けていた。
いやはや、いくらなんでも長すぎる。
そして5分が経過したころ、ようやくチーの声が聞こえなくなった。やっと終わったようだ。
僕は耳から手を放し、やれやれと胸を撫で下ろした。
チーの表情はずいぶんすっきりしていた。
溜まったマグマが、綺麗さっぱり発散されたのだろう。
しかし、今度は僕が眠れなくなった。
5分間も言い訳するとは、いったいチーの身に何があったのだろう。
珍しく、他人の言い訳に興味が湧いた夜であった。
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