2012年6月3日 08:08
昭和の残像 鉄道懐古写真 (55) 貨物列車の「花道」山手貨物線の現役時代
5月22日に開業した東京スカイツリーには、汐留シオサイトや新宿のタカシマヤタイムズスクエアと共通点があります。
この3つの場所に共通するもの……、それは貨物駅跡地であることです。
昭和の時代、国鉄はもちろんのこと、東武鉄道や西武鉄道など大手私鉄でも貨物列車の運転があり、貨物駅には荷扱いのため貨車が留置されていました。
そんな貨物列車にとって、「花道」といえる貨物線がありました。
山手線に沿って都心を南北に縦貫する山手貨物線です。
当時は首都圏の物流の大動脈として、最盛期には上下合わせて200本以上の列車(1970年5月、東京南鉄営業部貨物課調製貨物列車ダイヤより)が設定されていて、山手線のホームや電車内から、頻繁に行き交う貨物列車を眺めることができました。
昭和の末期、鉄道貨物輸送が転換期を迎え、トラックへとシフトして列車本数が減少する中、まだまだデッキ付きの旧型電機が現役で貨物列車を牽引していた時代。
晩年の山手貨物線の写真を紹介します。
田端~品川間を山手線に沿って走る山手貨物線。
昭和の時代、東北・高崎線からの北の拠点だった大宮操車場、田端操車場と、東海道線からの南の拠点・新鶴見操車場を結び、新宿駅で中央線の貨物とも連絡し、首都圏と各方面を結んだ最重要路線でした。