昭和の残像 鉄道懐古写真 (64) キハ35系にキハ10系も! 国鉄形気動車が元気だった頃
新型のキハE130形に置き換えられ、姿を消します。
1970年代、キハ30形を含む「キハ35系」国鉄形気動車は関東近郊の非電化路線の主役でした。
「タラコ色」といわれた首都圏色の前は、朱色とクリーム色のツートンカラーで活躍していました。
今回はその頃の写真を紹介しましょう。
まずはローカル色満載だった、相模線のキハ30形です。
キハ35系は、片運転台トイレ付きのキハ35形、片運転台トイレなしのキハ36形、両運転台トイレなしのキハ30形の3車種からなる通勤形気動車で、1961~1966年にかけて、全体で約410両が製造されました。
特徴は片側3ドア・ロングシートであることと、非電化線区特有の低いプラットホームにも対応するために、ステップ付きの外吊り式両開きドアになったこと。
キハ35系は高度経済成長期によって乗客が増加していた関西や関東の大都市近郊の非電化路線に投入され、ラッシュ時などに大活躍しました。
続きましては、当時、通勤路線へと変貌を遂げつつあった川越線です。
ラッシュ時に7両編成の列車も運行される一方、日中は2~3両編成の列車がのんびり走っていました。
ところで、関東近郊の非電化路線で活躍したキハ35系にとって、「相棒」と呼ぶべき車両が存在していました。
キハ10系(キハ17系)気動車です。
キハ10系は、両運転台のキハ10形(トイレなし)・キハ11形(トイレ付き)、片運転台のキハ16形(トイレなし)・キハ17形(トイレ付き)を中心とした2ドアクロスシート車で、1953(昭和28)年から製造され、一族の総数約720両と国鉄を代表する気動車でした。
キハ10系は全国各地で見ることができましたが、筆者の撮影当時、相模線や八高線ではキハ35系と連結され、2~3両編成で活躍していました。
ちなみに、この記事を書きながら、キハ10系のクロスシートに肘掛けがなかったことを思い出しました。
他の気動車より車体断面が小さいこともあって、どことなく貧相に見えた車内。
一歩足を踏み入れると、関東近郊の路線ではなく、どこかの地方のローカル線に乗っているような錯覚に陥ったものです。【拡大画像を含む完全版はこちら】