「お金」に興味を持つという事 - セゾン投信・中野社長の半生記 (21) 社内異動で再び窮地--今度も澤上氏から激励「俺はお前と仕事をするんだ!」
新たな投信会社の運営に足るスタッフ集めも始めて、人づての紹介などを通じて徐々に人員体制も整って来ました。
そんな折、突如自分の人事発令がありました。
セゾン投信の準備を推進するインベストメント事業部長から本部付部長という何だかよくわからない肩書きへの異動、つまり推進のラインから外されてしまったのです。
新しい役職はラインもなくチームもなく、完全な閑職にしか見えません。
ここまでセゾン投信の立ち上げを進めてきて、再び認可直前の処で、またも転んでしまいました。
さすがに凹みました。
自分が陣頭指揮をとらなくとも、それまで一緒に汗をかいてきたスタッフたちが粛々と準備作業は続けてくれています。
そして「自分たちでしっかり作業は進めるから」と私を力強く励ましてくれます仲間のありがたさを実感しました。
それでも当局からの認可申請書提出を受諾される、いわゆる仮認可となった時、このままだとまた申請取り下げにもなりかねません。
しかし、ひとたびラインから外れてしまうと、もう表だって自分が動くことは出来ません。
だらだらと毎日が過ぎでいきます。
焦りました。
今度もやっぱり支えてくれたのは澤上さんでした。
夜こっそりと何度も居酒屋で作戦会議を重ねました。
「いいか、これは戦いだ! 絶対に負けるわけにはいかん。
」と彼は必死に一緒になって思案してくださいました。
そして「反対している取締役とランチのアポを入れてくれ!」と言われました。
ひとりひとり、疑念を持つ役員さんたちに対して、セゾン投信が創ろうとしている価値がどれだけ世の中への社会的意義のあることか、さらにはさわかみファンドの伸長を裏付けとして、どれだけ世の中に長期投資のニーズが大きいか、ゆえにビジネスとしても必ず成功するはずであると、懸命に説得してくださったのです。
澤上さんは意気消沈している私に、「いいか、俺はセゾンと仕事をするんじゃない、お前と仕事をするんだ!」と激励してくれました。
人間と人間の繋がりで自分は支えられている。
心から嬉しい、忘れられない言葉です。
最後は林野社長に直接話をしに行ってくださり、私をセゾン投信のチームに戻すよう必死で頼んでもくださったのです。最終的には、否定的だったクレディセゾン取締役会で林野社長の強い意思表明があって、セゾン投信を蘇生させてくれました。
「セゾン投信がやろうとしていることは、世の中にあって正しいアプローチである。
しかし日本の金融業界は全く違う状況だ。
だからいずれ必ず我が国の個人のお金の流れは正しい方向に変わってくるはずだ。
但しそれが5年後なのか10年後なのかは自分にもわからない。
それでも10年後に正しいお金の流れに変わった時、セゾンは10年前から正しいことをやっていたんだ! と世の中に言わせようじゃないか。
だから今始めよう!」この言葉で、取締役会は改めてセゾン投信への出資を認めてくれたのです。
2007年1月、セゾン投信は正式に金融庁から投資信託委託業の認可を受けました。
そこからは大慌てで商品組成の準備に入りました。
バンガード社とも最高品質の資産形成型ファンドを世に出そう! と議論を重ね、「セゾンバンガードグローバルバランスファンド」が設計されました。
同時に運用会社としての自己主張として、アクティブ運用の「セゾン資産形成の達人ファンド」の2本立てで商品申請を行い、3月15日に長距離列車「セゾン号」は2つのファンドを設定、無事運用を開始出来たのでした。
振り返れば、私が澤上さんから「お前もセゾンで長期投資の直販投信を作れ!」と背中を押されてから7年掛かりでの長期投資の旅への出発でした。
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