「ひたすら浮気する彼を待つ」百人一首に見る平安時代の恋愛
そもそも百人一首とは、藤原定家が選定し、平安時代の100人の歌人が歌った和歌を収録したもの。
正式名称は『小倉百人一首』です。
子供時代に遊んだことがある、学生時代になんとなく授業で習った記憶があるという人も多いのではないでしょうか。
百人一首は当時の男女の恋愛模様を知ることができる貴重な存在であり、いつの時代も変わらない恋愛心理を学ぶ「教材」としての役目も果たしてくれます。
■平安時代の恋は「最初はひたすら女性が追いかけられる」「一度体を許したら、男性を待つことしかできない」ものだった。
そもそも、平安時代の貴族の恋愛とはどのようなものだったのでしょうか。
まず、男性は女性の顔がわからないままアプローチをスタートしていたそうです。
家柄はすぐにわかりますが、教養、美しさ、性格などは人伝いで情報を集めていくしかなかったそうです。
それでも、女性側がOKするまでは顔を見ることも、直接会話することもほぼできなかったとされています。
アプローチする女性を絞り込んだ男性は、まず相手に歌を送ります。
男性側は女性からの返事を期待してはいけません。
何度も何度も歌を送り、ようやく女性側から手紙がもらえれば思いが伝わったという証し。
そこから男性側が女性の家で一夜を過ごすことになりますが、なんとそこで初めてお互いに顔を合わせます。
ここまでは男性側が女性にひたすらアタックしますが、この一夜から立場が逆転するとされています。
女性はひたすら、男性が通ってくるのを待つことになるでしょう。
貴族の男性は、複数の女性と関係を持つ人も多かったそうです。
ですから、浮気を黙認せざるを得なくなるのです。
■百人一首は、男性の浮気症をテーマにした歌も多い百人一首にて詠まれている恋愛とは、心変わりを嘆くもの、待ち続けている切なさを歌ったものが非常に多いとされています。
特に女性の歌人が作ったものは男性の浮気を嘆く和歌が多く、昔も今も男性の浮気に悩まされている女性が多かったということがわかります。例えば、歌人・右近によるこの和歌。
「忘らるる身をば思わず誓ひして人の命の惜しくもあるかな」。
現代語訳をすると「あなたに忘れられてしまう、そんな私の身については何も思わない。
だけど、『心変わりしない』と誓ったあなたの命が、神罰によって失われてしまうかもしれない。
それが、惜しく思われてしかたありません」という内容です(解釈には諸説あり)。
つまり、「あなたが他の女性のところに行くのは仕方がないと諦めているけれど、自分で『お前だけ』と神に誓っていたくせに。
いつか天から罰が下るかもしれませんね」と、皮肉をたっぷりと込めた和歌を詠んでいるのです。
これ以外にも、儀同三司母による「忘れじの行く末まではかたければ今日を限りの命ともがな」という和歌はインパクト大。
現代語訳すると「『いつまでもお前のことを忘れないよ』とあなたは言うけれど、いつその気持ちが変わるのか不安で仕方がない。
こうしてあなたが愛してくれる今、このまま死んでしまいたい」という意味になります。
平安の恋愛といえばのんびりゆったりしたイメージがありますが、女性の愛にかける激しい気持ちはいつの時代も変わりがないようです。
ちなみに、逢瀬(おうせ)を交わした次の日の朝に、相手に和歌を送るのは平安時代の恋愛マナーのひとつ。
現代風にいうと、お泊まりをして帰った次の日の朝にメールを送るようなもの。
これができない男性は、無粋だというレッテルを貼られてしまっていたようです。
やはりどの時代においても男性は、女性の心をつなぎとめられるアフターケアができないとモテないのかもしれません。
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