【コブスくんのモテ男道!】海外生活大成功! 外資系メーカーへキャリアアップ
就活が厳しくなって久しいが、1997年ごろもまた、同じような時代だった。今回、お話を聞いた藤森寛也さんも、そんな苦境を知るひとり。エントリーシート(=以下ES)は50社ほど提出し、面接に臨んだ企業の数は約20社だったという。ひと一倍努力をした彼は、幸いにも5社の企業から内定をゲット。もともとシステムプログラム営業志望だったため、そのなかから大手電子メーカーへの就職を選んだという。
転職のキッカケは待遇面の悪化
入社からの5年間は、順風満帆とはいわないまでも、とくに不満をもつようなこともなく、仕事は軌道に乗ったように感じていたという。
「会社に入ってからは順調でしたし、転職する意思は全くなかったんです。ところが2007年になって、当時在籍していた部門が子会社化されることになりました。
そのうえ、待遇面まで悪化することを通達されたんです。このときですね、転職を最初に考えたのは。たまたまクライアントとの会食の席で、愚痴をこぼしたことがありました。すると同席されていた先方の顧客役員から、ヘッドハンティングの誘いをいただいたんです。その後、面接を1回受けて合格。そのまま入社を決めました」
一見トントン拍子に見える藤森さんの転職活動だが、どうやら日ごろからの努力の積み重ねが招いた好機だったようだ。