【エンタメCOBS】4年ごとに使える、オリンピックトリビア集!
さて、今回はそんなオリンピックにまつわるトリビアの数々をご紹介いたします。
●優勝者に銀メダルが贈られた大会がある
第1回のアテネ大会では、優勝者に銀、準優勝者には銅メダルが贈られ、3位は表彰状だけが贈られた。現在のように優勝者に金メダルが贈られるようになったのは第2回のパリ大会から。
●入賞者にメダルが贈られるまで数年かかった大会があった
金メダルが贈られるようになった前述のパリ大会だが、万博博覧会のついで開催のため運営本部が紆余(うよ)曲折する事態となった。そのせいで、入賞者にメダルが贈られるまで最長で2年の年月がかかることとなった。
●金メダルに使われている金は約6グラム
メダルにはオリンピック憲章で決められた大きさや純度などの細かい基準があり、金メダルには最低でも6グラムの金が使用されていないといけない。
仮に最低の6グラムしか使用されていなかった場合、銀の土台部分を除くと約2万円(2012年5月時点の相場で換算)程度にしかならないことになる。また、金は表面にコーティングされているだけなので、優勝者がよく行うメダル噛みは金がはがれてしまうおそれがあるとのこと。
●日本代表が『JAPAN』ではなく『NIPPON』のプラカードで行進をしたことがある
日本が初参加した第5回ストックホルム大会の開会式のこと、当初選手側は漢字で『日本』とプラカードに表記することを希望したが、監督サイドは外国でも通用する『JAPAN』にするべきだと主張し、意見が対立。そこで当時日本代表の団長だった加納治五郎氏が折衷案として『NIPPON』にし、マラソンの代表だった金栗四三選手がプラカードを持って入場した。その後は『NIPPON』という表記が使われたことはない。
●マラソンの世界最長記録は54年8ヵ月6日5時間32分20秒3
記録したのは前述の日本代表・金栗四三選手。ストックホルム大会のマラソン競技中に意識をなくし、近くの民家で介抱を受けている間に競技が終了してしまったため棄権の申告ができなかった。その後、棄権申告が出ていないことを知ったオリンピック委員会が金栗氏を’67年のストックホルムオリンピック開催55周年式典に招待。
そこでようやくゴールテープを切ることとなった。オリンピック委員会の粋な計らいによって生まれた珍記録である。
●42.195キロの由来は貴族のわがまま
マラソンの競技距離は42.195キロと実に中途半端。なぜこんなに中途半端なのかというと、第4回ロンドン大会の際、アレクサンドラ王妃が「ゴールをスタンドのボックス席の前にして!」と注文したためとされている。その後、第8回のパリ大会からこの42.195キロに統一されることになった。
●第1回大会から変わらず参加し続けている国は5ヵ国だけ!
今年のロンドン大会で30回目の開催を向かえる夏季オリンピックだが、第1回大会からず~っと参加している国はギリシャ・イギリス・フランス・スイス・オーストラリアの5ヵ国だけ。
●初めてテレビ中継がされた大会は1936年のベルリン大会
当時のドイツ政権を掌握していたヒトラーが、ドイツの科学力を見せ付ける絶好の機会と考え、実験段階だったテレビ中継の導入を指示。試験的なものではあったが、テレビでの中継が試みられた初めてのケースだった。
ちなみに、世界各国に衛星中継されたのは1964年の東京オリンピックが初めてとなる。
●古代のオリンピックでは女性が全裸で走る短距離種目があった
古代オリンピック種目の中には、天空神であるゼウスにささげる競技として、全裸の女性が走る短距離種目があった。男としてはぜひ現在のオリンピックでも正式種目にしてもらいたい。
以上、オリンピックにまつわるトリビア集でした!
タイムリーな話題なので、友人たちにひけらかしてみるもよし、競技を見ながら家族に語ってみるもよし。さらに覚えておけば4年ごとに繰り返し使える素晴らしいネタの数々なので、ぜひ活用してください(笑)。
(貫井康徳@dcp)