「高田賢三」の栄光と挫折が明らかに─『夢の回想録 高田賢三自伝』がリリース
対照的に「80年代は巨額のお金を稼げるようになったが、自分の好きな服を作ってばかりもいられない。純粋な夢が徐々に変質していった時代」だったといいます。
麻の葉の和柄を使ったワンビースが『ELLE』の表紙を飾った。1970年。
『ELLE』フランス版の表紙を飾った賢三のジャケット&パンツjacket and pants: Kenzo, blouse: Eta, belt: Jose Cotel Elle France - May 8 1971 Photographed by Peter Knapp
■90年に訪れた悲劇
波乱もありつつ、順調にビジネスが拡大の一途をたどっていきましたが、1990年に転機が訪れました。共同経営者フランソワ・ボーフュメとの確執が顕在化、仕事の上でも私生活のパートナーでもあったグザビエが病死、翌91年には賢三の右腕だったパタンナーの近藤淳子が脳梗塞で倒れてしまいます。それまで助言者として支えてくれた二人を失って、フランソワを解任するために、LVMHグループへの株式売却を決意することに……。
ところが、紳士協定であったフランソワ解任は実行されず、精神的に追い込まれた賢三が辞表を出すことになります。