「平凡の呪い」から解き放たれるために、僕はアホになった
僕は、さして特筆することのない学生生活を送っていた。超売り手市場と言われた2008年の就職活動においても、周りが続々と大手企業へ内定が出るなか、一人なかなか受け入れてくれるところが見つからなかった。
大きな自信も個性もなく、業界研究すらろくにしないまま盲目的にコピーライターに憧れていただけの若者を雇ってくれるほど社会は甘くない。結局、人材会社に契約社員として拾ってもらい就職浪人を免れたものの、心はずっとモラトリアムを彷徨っていた。
振り返ると、どこにいても居心地が悪かったように思う。
持って生まれた人当たりの良さが、学校内の文化系、運動系、ヤンキー系、それも男女問わず別け隔てなく仲良くなれた分、どのグループにも確固たる自分の居場所はなかった。
たくさんの人と付き合いはあっても、心を許せる友だちは数えるほどもいない。
言いようのない劣等感と反骨心ばかりが育まれた学生時代。
心の拠り所は、たいてい漫画だった。
■迫られる人生の選択。決断の基準はただひとつ
心が弱っているとき、テンションを高めたいとき、そして大きな決断を迫られているとき。そんな折に触れて読み返す漫画がある。
南勝久先生の『なにわ友あれ』だ。