朝顔のように自然体で、自由に腕を伸ばして生きればいい
街を歩いていて目を引くあの人。なぜその人に惹かれるのか、そこに感じられるのは背後にあるライフスタイル。その人からイメージをふくらませて、素敵な生活を想像してみた。
先日、テーマパークで見かけた、力の抜けた自然体な着こなしが素敵な人。
メンズサイズのグラフィックTシャツを一枚でさらりと纏い、足元はネイビーのシンプルなビーチサンダル。
アクセサリーはゴールドコインのネックレスのみ。
ナチュラルな黒髪のダウンスタイルに気負わないコーデ。そこにミッキーマウスのカチューシャが映えてかわいい。
コンビニに行くような身軽さ。
ちょっと思い立ってやってきたかのような彼女からは、何の気負いも感じられない。
頭の中が日々のことや家族の心配ごと、ちょっとしたどうでもいいことでぐるぐると回っている私には、彼女が眩しくて仕方がない。
彼女のように、肩の力を抜いて自然体で生きられたならどんなにいいだろう。
そう、たとえば。
おしゃれでいうなら、最後に選んだものをひとつ外す。
おしゃれにストイックな私たちは、ついひとつ余分に着飾ってしまう。
迷って最後に身につけたものはだいたい、自信のなさを隠すためのものだったり、見栄だったりする。
それがコーデを台無しにし、頑張りすぎてる人に認定されてしまう。
(今すぐひとつ、外しましょう!)
それから、美容。
幼少期から容姿もスタイルも自信がなかった私は、それを補うべく、早くからメイクに目覚めた。
一生懸命な気持ちから、あれもこれも加えたくなるけれど、大切なのは「何を引くか」だということに最近気づいた。
たとえば、不要なものを食べない。それだけで、たった3日で、見違えるように肌も瞳も輝きだす。
どんな化粧品より効果が早いのが食べ物なのだ。
忙しいとき、気が張っているとき、疲れたときは、深く長くゆっくりと呼吸してみる。
心と体は繋がっているので、時間がないときは無駄な動きが多くなるし、緊張していると強張ってしまう。
逆も然りで、新呼吸して体の力が抜けると、心の不要なものも抜けていく。
我が家の庭には、次女が学校から持って帰ってきた朝顔の植木鉢がある。
毎朝、見るたびに、器用に気ままにつるを伸ばしている。
ふと、「ああ、朝顔のようにどこにだって腕を伸ばしてもいいんだな」と思った。
何となく、みんなと一緒のレールの上から落ちないように見渡しながら生きてきたけれど、隣のレールに行ってもいいし、進むのが辛いのならやめたっていい。
自分で腕を伸ばしていけばいいのだ。
家族のことを勝手にあれこれと心配して、辛い思いをしないようにと先回りして回避しようとしていた私は、レールの脇をセメントで固めていたのだろう。
なにがあっても経験だ。
どんと構えていよう。
大切なことは、いつだってシンプルなんだ。
そう思ったとき、やっとほんの少し、肩の力が抜けたのを感じた。
■「ちょっとそこまで」の身軽さが魅力的な彼女
先日、テーマパークで見かけた、力の抜けた自然体な着こなしが素敵な人。
メンズサイズのグラフィックTシャツを一枚でさらりと纏い、足元はネイビーのシンプルなビーチサンダル。
アクセサリーはゴールドコインのネックレスのみ。
ナチュラルな黒髪のダウンスタイルに気負わないコーデ。そこにミッキーマウスのカチューシャが映えてかわいい。
コンビニに行くような身軽さ。
ちょっと思い立ってやってきたかのような彼女からは、何の気負いも感じられない。
頭の中が日々のことや家族の心配ごと、ちょっとしたどうでもいいことでぐるぐると回っている私には、彼女が眩しくて仕方がない。
彼女のように、肩の力を抜いて自然体で生きられたならどんなにいいだろう。
■朝顔のように自然体で、自由に腕を伸ばせばいい
そう、たとえば。
おしゃれでいうなら、最後に選んだものをひとつ外す。
おしゃれにストイックな私たちは、ついひとつ余分に着飾ってしまう。
迷って最後に身につけたものはだいたい、自信のなさを隠すためのものだったり、見栄だったりする。
それがコーデを台無しにし、頑張りすぎてる人に認定されてしまう。
(今すぐひとつ、外しましょう!)
それから、美容。
幼少期から容姿もスタイルも自信がなかった私は、それを補うべく、早くからメイクに目覚めた。
一生懸命な気持ちから、あれもこれも加えたくなるけれど、大切なのは「何を引くか」だということに最近気づいた。
たとえば、不要なものを食べない。それだけで、たった3日で、見違えるように肌も瞳も輝きだす。
どんな化粧品より効果が早いのが食べ物なのだ。
忙しいとき、気が張っているとき、疲れたときは、深く長くゆっくりと呼吸してみる。
心と体は繋がっているので、時間がないときは無駄な動きが多くなるし、緊張していると強張ってしまう。
逆も然りで、新呼吸して体の力が抜けると、心の不要なものも抜けていく。
我が家の庭には、次女が学校から持って帰ってきた朝顔の植木鉢がある。
毎朝、見るたびに、器用に気ままにつるを伸ばしている。
ふと、「ああ、朝顔のようにどこにだって腕を伸ばしてもいいんだな」と思った。
何となく、みんなと一緒のレールの上から落ちないように見渡しながら生きてきたけれど、隣のレールに行ってもいいし、進むのが辛いのならやめたっていい。
自分で腕を伸ばしていけばいいのだ。
家族のことを勝手にあれこれと心配して、辛い思いをしないようにと先回りして回避しようとしていた私は、レールの脇をセメントで固めていたのだろう。
なにがあっても経験だ。
どんと構えていよう。
大切なことは、いつだってシンプルなんだ。
そう思ったとき、やっとほんの少し、肩の力が抜けたのを感じた。