団扇で夕涼みする姿は、夏の風物詩ですね。団扇は、奈良時代に中国から伝わり平安中期の書『和名類聚抄』には唐で作られた宇知波(うちわ)との記述があります。道具として古い歴史を持つ団扇ですが、庶民に普及したのは、紙や竹材を使って大量生産できるようになった江戸中期以降のことです。
『江戸な日用品』(平凡社刊)/撮影・喜多剛士
広重、豊国、国芳とコラボ
江戸市民が待ちわびた江戸うちわ地域特産の和紙を使ったもの、ひとりの職人が型から絵まで描くものなど、日本各地の特色を打ち出した団扇は夏を彩ってきました。さまざまな団扇がありますが、江戸の団扇といえば日本橋生まれの
「江戸うちわ」です。
江戸きっての繁華街、日本橋には和紙や竹材を商う店がたくさんありました。そんな店が自然に作り始めたといわれる江戸うちわ。世界に先駆けて百万人都市になった江戸、そんな江戸市民に向けてですから大量生産は必須です。
仕様を簡略化するため持ち手や骨を1本の竹を割いて作りました。また人口密集で熱気がこもりやすい江戸の町ゆえに涼をとりやすいように形状も大きめだったそうです。
『江戸な日用品』(平凡社刊)/撮影・喜多剛士
そんな江戸うちわを道具から嗜好品へと変えたのは、今も日本橋で団扇や扇子を商う
「伊場仙」(いばせん)。天正18(1590)年を創業年とする伊場仙は、
徳川家に竹や和紙を収めていました。その材を使って団扇や扇子を手掛けるようになります。江戸後期には、初代の
歌川豊国や
歌川国芳、
歌川広重などの絵師の版元になり、錦絵を刷り込んだ
「浮世絵団扇」を考案。絵師の描く歌舞伎役者や花魁、日本の名所が刷り込まれた団扇は大当たり、江戸市民のみならず江戸土産として京や大坂の人に喜ばれたそうです。昭和30年代ごろまで店で団扇を作っていた伊場仙ですが、今ではその技術を踏襲する千葉・館山の職人さんにお任せしているそうです。