実現すべき自己なんて無い!? 私たちにとっての“働く意味”とは
仕事をしていると、誰にでも「今の状況を変えたい」と思う瞬間がやってくる。向いてないのかも、と思ったとき。大失敗をしたとき。いやなことがあったとき。キャリアの行き詰まりを感じたとき…。そのとき初めて、「働くって、何だろう?」と深く考えることになる。
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働くことは国民の義務。そして生活のため、食べていくため。
でも、そう考えている読者の皆さんはきっと少ないだろう。では何のため、と問いかけると、かなり多く出てくるのが「自己実現のため」という答えではないだろうか。しかし私はこの「自己実現」という言葉があまり好きではない。実現すべき「自己」など最初からないと考えているからだ。
先日、やきものの取材で、とある地方の窯の八代目に出会った。セント・ジェームスのボーダーカットソーにチノパン、足元はスリッポン。黒縁メガネを粋にかけた30代の彼は、そのまま『POPEYE』の誌面から出てきたようにおしゃれだった。その八代目から聞いた話がとても印象的だった。
私は、やきものといえば、やきもの作家の存在がすぐに思い浮かぶ。都内で触れるやきものといえば、作家の個展、というシーンが多いからだ。