2022年3月10日 18:51
店内で泣き叫ぶ子供と、なだめる親 友人の『一言』にハッとする【きしもとたかひろ連載コラム】
相手を思い通りに動かしたいという欲求は人類の普遍的なテーマなのかもしれないな、と大層なことを考えながら、「けれど」と思う自分もいる。
そんな傲慢な思いばかりではないよなあ、と。純粋に、本当に心の底から相手のことが大切だからこそ、という思いは間違いなくあるはずなんだ。その思いを表現する方法を間違うことがあっても。
本心として「その子のために」と思ったことが自分の傲慢なのかもしれないことを知ると、自分のその子を思う気持ちさえも否定されたように感じてしまう。全部が間違っている気がして前に進めなくなってしまう。
そんなことを思いながらその言葉について調べていると「思いのままになることのたとえ」だけでなく「大切に育て、取り扱うことのたとえ」としても使われることがあるらしいことを知る。
同じ言葉なのに反対にも捉えられる意味を持っていて、その言葉が僕と同じように葛藤しているように見えた。
大切だからこそ掌の中で育ってほしい、そんな葛藤を子どもとの関わりの中では多く感じる。
「その子のために」と思えば思うほど、自分があれもこれも世話をしてあげたくなるけれど、「その子のために」と思うこと自体は悪い事ではないんじゃないか。