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「今まで誰にも話せなかった」と涙 38年の消防隊員が明かす、被災地の仲間の想いが…【東日本大震災から15年】

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「今まで誰にも話せなかった」と涙 38年の消防隊員が明かす、被災地の仲間の想いが…【東日本大震災から15年】

未曾有の被害をもたらした東日本大震災から15年が経とうとしている、2026年3月9日現在。

最前線で人命救助にあたった消防隊員の姿は、今も多くの人の記憶に刻まれているでしょう。

一方で、私たちにとって身近な存在である消防隊員が、過酷な現場でどのような想いを抱えていたのかが語られる機会は、決して多くありません。

災害現場で、隊員たちは何を見て、どのような葛藤と向き合ってきたのでしょうか。

東京消防庁で38年間現場に立ち、震災の経験を機に、消防隊員の心をケアする取り組みを始めた防災士の幾田雅明さんに話を聞きました。

「今まで誰にも話せなかった」と涙 38年の消防隊員が明かす、被災地の仲間の想いが…【東日本大震災から15年】

撮影:grape編集部

東日本大震災で救助活動消防隊員の悲痛な想い


2011年3月11日、三陸沖を震源地とする東日本大震災が発生。

地震と津波によって広範囲に甚大な被害が生じました。総務省消防庁によると、2024年3月8日時点で死者は19,775人、行方不明者は2,550人に上るといいます。


被災地では、津波で流され、あるいは倒壊した家屋の下敷きになった行方不明者の捜索など、長期にわたる救助活動が続きました。

全国の消防隊員も現地へ派遣され、過酷な状況の中で救助活動にあたります。

「今まで誰にも話せなかった」と涙 38年の消防隊員が明かす、被災地の仲間の想いが…【東日本大震災から15年】

その後、現場職員の様子を心配した有志から相談を受け、幾田さんら数十人のメンバーが、被災地で仲間の話を聞く『傾聴ボランティア』として現地へ向かうことになりました。

消防職員が被災地で直接仲間の相談に乗るという、国内でも前例のない取り組みです。

「今まで誰にも話せなかった」と涙 38年の消防隊員が明かす、被災地の仲間の想いが…【東日本大震災から15年】

話を聞く中で見えてきたのは、想像以上に大きな心の負担でした。

「自分は何もできなかった」「命を救うことができなかった」と自責の念にさいなまれ、感情を押し殺すように、人が流される津波の光景を淡々と語る人もいたといいます。

そんな隊員たちの助けになりたいと、幾田さんらは約1年間、毎月東北へ通い、隊員たちの話に耳を傾け続けました。

被災地へ足を運び続けた理由について、こう明かします。


消防の世界には『弱みを見せない文化』が残っている気がしています。心身ともに強くなければ、人を救うこともできませんから。

だからこそ、その立場を理解する仲間が話を聞くことに意味があるんです。

特別救助隊員や救助隊長を歴任するなど、長年最前線で活躍したからこそ、現場の雰囲気や苦労を熟知する幾田さん。

よき理解者である幾田さんと対話するうちに、現場の隊員たちの心境にも変化が生まれたようです。

語りながら、張り詰めた気持ちがほどけるように、涙を流す隊員は少なくありませんでしたね。

中には「今まで誰にも話せなかった」「やっと話ができて、心から楽になった」と言ってくれる人がいました。

「今まで誰にも話せなかった」と涙 38年の消防隊員が明かす、被災地の仲間の想いが…【東日本大震災から15年】

※写真はイメージ

幾田さん自身も、話を聞きながら一緒に涙を流したといいます。


各地で災害が起きた際に、消防隊員の話を聞く活動を続ける幾田さん。

実は、取り組みの原点には、異国での壮絶な体験があったのです。

消防隊員の心をケア取り組む男性の壮絶な『原点』とは…

幾田さんの活動の原点となった経験は、1999年9月21日に台湾中部で起きた大地震です。

当時、消防司令補だった幾田さんは、救助隊の一員として、現地に派遣されました。

目にしたのは、余震が続く中、今にも崩れそうな建物の数々。

「今まで誰にも話せなかった」と涙 38年の消防隊員が明かす、被災地の仲間の想いが…【東日本大震災から15年】

台湾で起きた大地震の現場(提供:幾田さん)

がれきの下には、当時の幾田さんの子供と同年代の高校生がいました。

そばでは高校生の叔父が、「助けてほしい」と必死に訴えていたといいます。

しかし、大きな余震が相次ぐ中、二次災害の危険を考えれば、容易にがれきの中へ入ることはできません。


幾田さんは大きなジレンマを抱えながら、救助活動を続けました。

帰国後に負った『見えない傷』


帰国後も、その光景は頭から離れませんでした。

時折、高校生を救出できなかったことに自責の念を感じ、家族に対してきつい言葉を放ってしまうこともあったそうです。

家族からは「怒りっぽくなった」と言われ、自分でも変化を自覚。いわゆる『惨事ストレス』と呼ばれる状態でした。

過酷な災害現場を経験する中で、本来は人の命を救う役割にあるはずの自分が、いつしか他人の心を傷つけるようになっていました。

仲間と研修を受けて気づいた『重圧』


危機感を覚えた幾田さんは、災害現場で活動した職員の心理的ケアを担う『デブリーファー養成研修』を受けることに。

消防職員の『惨事ストレス』に関する知識の学習や、グループミーティングの基礎的な実習などを通して、気づきを得られたといいます。


幾田さんは当時を振り返ります。

日の丸を背負った日本代表の救助隊員として「絶対に死ねない。死ぬことなんてない」と思っていました。

でも研修を受ける中で、日の丸を背負い、必ず生存者を助けなければならないという重圧を抱えていたことに気づけたんです。

この世に完璧な人間などいません。それは、人々の命を守る消防隊員とて同じ。

必要以上の責任感に駆られていた幾田さんの気持ちは、研修を通じて仲間と語り合い、自らを客観視することで、ふっと軽くなったといいます。

消防署内で生まれた『語れる場』仲間同士で前向きに


台湾や研修での経験から、消防隊員が悩みを打ち明けて、自分を見つめ直す場の重要性を実感した幾田さん。


署内で、隊員同士が自由に体験を語るグループミーティングの場を設けました。

口にしづらい災害現場のトラウマなども、同じ経験をして理解のある仲間同士だからこそ話せるんです。

また、私の過去の大変な経験を聞いた部下は「厳しい隊長でもそうだったんだ」と思えて、前向きになってくれたようですね。

ストレスが軽減されて、次の任務のモチベーションになる、という好循環が生まれるようになりました。

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消防隊員の話に耳を傾ける幾田さん(提供:幾田さん)

『3.11』機に傾聴活動が本格化講師養成講座の受講者も増加


こうした署内での経験を買われ、幾田さんは東日本大震災の被災地に派遣されることに。多くの消防隊員らの心を救ったことから、活動は本格化します。

2016年、幾田さんを含む消防関係者や大学講師らによってNPO法人・日本消防ピアカウンセラー協会が立ち上がりました。

『ピア』とは同じ立場の仲間という意味。
同じ現場を経験した消防職員が話を聞き、心の負担を軽減するのが狙いです。

同年の熊本地震後には、熊本県内の消防本部でピアカウンセラー養成講座が行われるなど、これまでに延べ100人近くが講座を受講。隊員の『惨事ストレス』への支援の重要性が広く認識され始めています。

対話で意識すること「ひたすら耳を傾ける」


多くの消防隊員の本音に向き合う幾田さん。現在は同協会の発起人の1人として、副理事長を務めています。

対話をする上で、特に大切にしていることがあるそうです。

特に大切にしているのは、『ただ聞き続けること』です。

相手の言葉を遮らず、うなずきや声のトーンにも気を配りながら、ひたすら耳を傾ける。

私自身、精神的にしんどくなった経験があるので、気持ちが痛いほど分かります。

そうやって話を聞いていると、最初は無表情だった人が、帰る頃には笑顔を見せてくれるんです。

現場から退いた後も、言葉にしづらい葛藤を抱える仲間に寄り添い続ける幾田さん。

「心が軽くなった」「ありがとう」と言われ、隊員が再び前を向ける瞬間が、活動を続ける原動力になっているといいます。

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※写真はイメージ

『支える側を支える』現場で活動する消防隊員に理解を


災害現場で人命救助にあたる消防隊員は、私たちにとって強く、頼もしい存在です。

しかし、そんな隊員たちも1人の人間であることに変わりはありません。

被災地では極限状態の不安の中で、隊員が被災者から心ない言葉を浴びたり、理不尽な叱責を受けたりするケースもあるといいます。

他人になかなか話せない想いを抱えるからこそ、『仲間が仲間の話を聞く』という支えが必要とされているのでしょう。

東日本大震災から月日が経った今も、大災害はいつ、どこで起こるか分かりません。

『3.11』を前に、私たちもまた『支える側を支える』視点を持っていたいものですね。

もしもの時に、お互いに手を差し伸べられる社会であるためにも。

[文・構成・取材/grapeトレンド編集部 しぶちゃん]

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