小野リサ 母となってからは大きな声で子供たちを叱ることも
場所は、敏郎さんが帰国後に東京・四谷で始めたブラジル料理とサンバの店「サッシペレレ」だった。
「ブラジル音楽のリサーチのなかで知り合った敏郎さんは、強烈な個性の持ち主。音楽や経営に対しても鋭い感覚がありました。しばらくすると、うれしそうに、『うちの娘がまだ高校生なんだけど、ギターを弾いて歌うんだよ』って言うんです」(森さん)
リサさんが父の店で歌い始めてすぐにこんな出来事があった。
「たまたま、ブラジルからサッカー選手たちが父の店に遊びに来ていて、私の歌で盛り上がったし、10代でステージに立つ私を応援してもくれたんです。歌は好きでしたが、それまでは部屋で一人で歌っていればよかった。でも、そのことがあって、みんなが私の歌で喜んでくれることが、自分の喜びにもなるんだと知りました」(リサさん)
その後、米国バークリー音楽大学へ短期留学したり、ブラジルへ単身で行き音楽修業もした。ところが……。
「父は私にサンバを歌うことをすすめました。しかし、サンバは打楽器の演奏に負けない声が必要ですが、私は声量のあるタイプではなかったので、それはプロを目指すときの悩みでもありました」(リサさん)
あるホテルのラウンジでの出演依頼が入ったのは、そんなとき。