2018年9月13日 11:00
辺野古問題に弱音吐かず…故・翁長知事へ妻からの言葉
「すい臓がんが見つかったころには彼は『おそらく僕は12月までもたないと思う』と、私にだけは言っていました。そして、知事公舎に置いてあった本や資料を、ひとりで整理し始めたんです。私が『やめて!』と何度言っても聞かなかった。『きみたちにはできないことだから、これは自分でやるから』と言って」
たくさんの花に囲まれた祭壇の遺影からは、いまにも故人の笑い声が聞こえてきそうだ。ちらりとその笑顔に視線を送りながら、翁長樹子さん(62)は、静かに、かみ締めるように語り始めた。
’85年に那覇市議に初当選。以来、政治家一筋、人生のすべてを地元・沖縄に捧げてきた。’14年の知事選では、「日本の国土のわずか0.6%の面積の沖縄に、70%という過剰な基地負担を強いられ続ける現状を看過できない」と訴え、名護市辺野古の新基地建設断固阻止を掲げて立候補し、圧勝した。
知事就任以降は、地元の民意に反して基地建設を推し進める政府と、激しく対立した。基地問題では政府に強く抗議を重ね、その数日後には予算の請願に同じ相手の元に足を運ぶ……。常人ならストレスと重圧で参ってしまうだろう。それでも知事は「沖縄のためなら我慢できる」