2018年11月22日 16:00
藤城清治さん 放射線の防護服に身を包んで描く「命の影絵」
前者では、美しい構図の中に、庁舎を襲う津波とも炎とも見える造形が描かれている。
「市民にマイクで避難を呼びかけながら奪われた職員の尊い命もありました。そんな真実の光景も描かなければならないと思いました。一本松のときは力が入って、気付いたら、上がってきた潮の中に足がつかったまま描いてました」
同じ年の冬には、原発事故後の福島県大熊町にも入った。吹雪も舞い始めるなか、防護服を着てのデッサンとなった。このときも同行していた亜季さんは語る。
「父は私たちと違って、腰掛けての作業ですから地面に近くて、浴びる放射線も段違いに多かったのです。私たちの線量計が“ピピ”ぐらいのときに、父のは“ピピピピピ……”と途切れなく鳴り続けて、私はその音が怖くて」
移動するように説得する亜季さんに、藤城さんは怒鳴った。
「バカヤロー。今、僕がこれを描かないでどうするんだ」
せめてもと、亜季さんは、長靴だけは何度も履き替えるようにしてもらったという。
被災地に通い続けたのと同じく、’16年に発表された特攻隊をモチーフにした『平和の世界へ』があるように、藤城さんは、戦争を後世に語り継ぐことの大事さを訴え続ける。