影絵作家・藤城清治さん「作品は美智子さまの部屋に飾られて」
「なんとなく銀行はイヤで(笑)、影絵に近いと思って、勝手に映画会社の宣伝部に入社したんだ。ここでパンフレット表紙のスターの似顔絵だけでなく、企画から編集まですべて一人でやりました」
この東京興行(現・東京テアトル)での奮闘のなか、淀川長治さんら偉才との交流も始まるが、人生の転機となったのが、当時『スタイルブック』編集長の花森安治さんとの出会いだった。
最初は、鋭い社会批判を行う姿勢に憧れて藤城さんから訪問したが、逆に花森さんはすぐに一流編集者の目で、藤城さんの若い才能を見抜いた。
「今度、新しい婦人雑誌を作るんだが、手伝ってくれないか」
こうして戦後の日本社会に新風を巻き起こす『暮しの手帖』に創刊号から関わっていく。
「3号目の打ち合わせのとき。たまたま停電になってね。間をもたせるため、影絵の話をしたんだよ。そしたら、花森さんは影絵にも詳しくて、『君の影絵はきっと流行るよ。
これからは、人が生きていくうえで、何かためになる作品を作らなきゃダメだ』と」
こうして始まった藤城さんの影絵は、『暮しの手帖』の顔の一つとして、以降、48年間に及ぶ大連載となる。
結婚は24歳のときで、やがて1女をもうけた。