皇室ジャーナリストが語る「今上陛下が築かれた開かれた皇室」
近重「雲の上の存在から『開かれた皇室』に大きく舵を切られた」
山下「ただ、それらは『昭和天皇のご理解があればこそ』だということを忘れてはいけません。昭和天皇は今上陛下が3歳のときから離れて暮らされたため、寂しい思いをされました。家族は一緒に暮らすべきという考えをお持ちでも、時代が許してくれなかったのです。晩年、昭和天皇は『(自分はできなかったけれど)東宮ちゃんができているからいい』とおっしゃっていました」
近重「’89年1月7日、昭和天皇が崩御されたとき、山下さんは宮内庁の報道担当。昭和から平成へのお代替わりは、どのようなものだったのでしょうか」
山下「1年間は昭和天皇の喪中ですから、おめでたいという雰囲気はありません。1月7日の『皇位継承の儀式』も喪装で執り行われました。’19年5月1日は、男性は燕尾服の正装ですかね。とくに忙しかったのは、新天皇が内外に即位を宣明される『即位礼正殿の儀』などが行われた’90年11月。
ほかに『祝賀御列の儀』(オープンカーでのパレード)、『饗宴の儀』(「即位礼正殿の儀」に参列した各国の賓客などを招いた祝宴)が4日間で7回、一般参賀、園遊会、そして、同じ月に『大嘗祭』『大饗の儀』まで。