2019年3月11日 11:00
宝来館女将 亡くなった従業員の分も「生きっぺし」W杯誘致へ
「釜石鵜住居復興スタジアム」は、自然と調和する美しい競技場だ。目の前に大槌湾、メインスタンド後方には、深い森がある。昨年8月に完成したこのスタジアムで今年9月25日、「ラグビーW杯2019」が開催される。
8年前の東日本大震災で、ここ、鵜住居地区は、巨大な津波に襲われた。地区の根浜海岸に立つ浜べの料理旅館「宝来館」も2階まで津波にさらわれ、女将の岩崎昭子さん(62)も一度は津波にのまれている。地区の死者・行方不明者は583人に上り、宝来館の従業員も3人が犠牲になった。
「でも、生きっぺしと思ってね」
突き抜けるような明るい声で、岩崎さんはそう言った。「生きっぺし」とは、「生き抜くぞ」「生き続けよう」と、自分に言い聞かせる方言だ。
そして震災直後の5月から、宝来館再建と同時に、ラグビーW杯招致に向けて、奔走し始めたのだ。彼女がいなかったら、震災被害が甚大だった釜石で、W杯開催など、誰も思いつかなかったことだろう。そう、岩崎さんは、釜石のW杯誘致の言い出しっぺなのだ。
「’11年3月11日は、うちで板前をしていた上澤隆年くん(享年49)の息子さんの結婚披露宴がありました。