2019年10月7日 11:00
太宰牧子さん「乳がん確率7割。遺伝性と診断された私の選択」
「’04年8月、姉が37歳のときでした。卵巣がんとわかって、すぐに手術をしたんです」
普通は親指大程度の卵巣が、約19センチに肥大していたという。
「その時点で、腹膜播種といって数千数万のがんが飛び散り、横隔膜にも転移していたんです」
徳子さんのつらい闘病が始まった。太宰さんは、まだ幼かった甥と姪に毎朝、食事やお弁当を作って、面倒を見ながら、姉に付き添った。
「姉も私も必死でした。’07年の11月には余命2カ月と宣告されましたが、姉は最期まで『生きたい』気持ちが途切れることがなかったです。遺伝学的検査の治験広告を見つけて、最初に興味を持ったのは、姉だったんです。でも、そのときの私は、姉を遮って、やめさせたんですね。
正しい情報を集められなかった。いまはそう思います」
家族の願いも届かず、徳子さんは’08年1月19日、永眠した。この経験が、太宰さんを変えた。
「姉が亡くなってから、私もいろいろ調べて、姉妹で同じようながんを発症することがあると知りました。体の異変にナーバスになり、毎日気がおかしくなったように自分で胸の触診をしていたら、しこりに気づいたんです」