2020年2月8日 15:50
太田裕美語る人気絶頂で休止の真相「木綿は卒業したかった」
19歳だった。アイドルのような容貌の太田さんが、ピアノを弾きながら透明感ある声で歌う姿は新鮮で、人気を集めた。
「私の場合は、フォーク系の歌手のように音づくりにもこだわりながら、テレビやバラエティにも出てアイドルの仕事も…。そのおかげで2倍忙しかったけど、様々なジャンルの方と仕事ができたことは、いい経験でした」
75年発売の4枚目シングル『木綿のハンカチーフ』が大ヒット。
しかし、やがてこのヒットが太田さんの重荷となっていく。
「いまでこそ代表曲があるのは歌手としてすごく幸せなことだと思うけど、当時は、新曲を出しても『“木綿”はいい曲でしたね』と言われてしまう。生意気にも、『もういいかげん、“木綿”は卒業したい』と思うこともありましたね」
デビュー当時から、「いずれ音楽に対する思いを見つめ直す時期が来る」と感じていた太田さん。「休んだらファンに忘れられてしまうよ」と反対する事務所の社長を押し切って、82年、27歳で単身ニューヨークに渡る。
「忘れられてしまうなら、私はそれだけの存在だったってこと。仕方ないと思いました」
ニューヨークは刺激的だった。
「いまでもそうですけど、マンハッタンのど真ん中に立っているだけでエネルギーを感じるんです。