佐藤浩市語る親子確執の真相…縁切りの裏にあった父との関係
小5のとき父親が家を出て、中学に上がる前には両親が正式に離婚。三國さんが伊豆の十国峠に息子の佐藤さんを連れて行き、「これが君との最後の別れだ。君はおふくろのところへ帰れ。僕は放浪生活を始めるから」
この“十国峠の別れ”は、まるで映画のワンシーンのように、三國さんの評伝などでは語り継がれてきた。その後、佐藤さんは高2から実家を出てアパートでの一人暮らしを始め、多摩芸術学園映画学科を中退して役者の道へ。最初に俳優を目指すと言った時、父は言った。
「僕は何も教えられないよ。だったら、親子の縁を切りましょう」
こうして、“2世俳優”としての人生が動き出す。
19歳だった。しかし、演技派としての地位を築いていた父の重圧はなかったのだろうか。
「正直、それはありました。でも“三國さんの息子さん”という見方をされるのは当然だし、一方で、だから受け入れてくれるという業界人も多かったんです。親父と不仲だと評されていた人が、現場では僕を可愛がってくれたりもあって。世の中、それほど度量の狭い人間ばかりじゃないと、いまだに信じてやってます」
映画デビューの『青春の門』でブルーリボン新人賞を受賞。この時も、親子2代受賞と話題に。