相葉雅紀支えた志村けんさんの膝枕 息子のように見守っていた
そんな相葉の葛藤を察していたのが志村さんだった。
「あるとき、相葉さんが志村さんに『嵐としての立ち位置がわからない……』とこぼしたことがありました。すると、志村さんは『いつどんな風が吹くかわからないから、その準備だけしておけば大丈夫だから』と優しくアドバイスを送ったそうです。それ以来、相葉さんの仕事への向き合い方が変わったといいます。積極的に過酷な猛獣とのロケなどに挑戦し、めきめきと実力を伸ばしていきました。生涯にわたって独身を貫いた志村さんですが、相葉さんのことはまるで息子のように温かく見守っていたようです」(前出・日本テレビ関係者)
4日の特別編で、相葉は涙ながらにこう語っていた。
《グループの中で僕だけお芝居の仕事をもらえなかったときに、志村さんが僕に「焦るんじゃないよ。相葉くんには『志村どうぶつ園』があるでしょ。
ドラマは3カ月で終わるけど、『志村どうぶつ園』はずっと続くからね。俺がずっと続かせるからね」って。すごく救われたことがありました》
その後、次々と冠番組や主演ドラマの仕事を獲得していく相葉だが、そこには“志村流仕事術”があったようだ。
「ドリフターズ時代は先輩のいかりや長介さんをいじることの多かった志村さんですが、『志村どうぶつ園』では相葉さんにあえて振り回されることで、視聴者を笑わせていました。