2020年4月20日 11:00
ピーター語る人間国宝の父との確執「幼稚園にも行くなと…」
幼稚園も行けなかった。「どうせ舞をやるんやから。行かんでよろし」と言われ、近所の子供が幼稚園に通うのを恨めしく思いながら、慎之介少年は舞に長唄、常磐津と稽古漬けの日々を送った。
「6歳のとき、両親が離婚して。『どっちと暮らすか?』と聞かれて、私も姉も即座に母を選んで(苦笑)。それで、鹿児島に移ったんです」
父のもとで苦労を重ね、額に汗して働く母を喜ばせたい、その一心で、慎之介少年は懸命に勉強した。そして名門・ラ・サール中学校に入学を果たす。やがて、勉強への意欲よりも都会への憧れが。
最初の家出は中学3年の秋。東京に出て、流行のゴーゴーバーで、客の踊りの相手をする「ゴーゴーボーイ」の職を得た。
本人が「すごく充実してた」と振り返る家出生活。しかし、1カ月を経たところで突如、頓挫する。
「女性客に『お父さん、何やってる人?』と聞かれて、バカ正直に『吉村流の家元』って答えちゃった。なんとその人、父を知る若柳流の幹部で。『なんで吉村の息子がこんなとこに!?』って騒ぎになっちゃって」
翌日には、東京・歌舞伎座に出演中だった父と10年ぶりの再会。すぐに、母と姉も上京し家族会議。
「鹿児島には戻らない」