2020年4月20日 11:00
ピーター語る人間国宝の父との確執「幼稚園にも行くなと…」
という主張が聞き入れられ「そやったら大阪で暮らしなはれ」と相成った。
10年ぶりにともに暮らした父は、相も変わらず厳しかった。
「『あんたは舞を10年もやってへんのやから、今日から毎日、稽古やで!』って。『ああ、またこの調子か』って」
父への反発もあって、高校進学からわずか数カ月後の’68年夏、慎之介少年は再び、家を出た。目指したのは、やはり東京。以前と同じ店を皮切りに、3店を掛け持ちする売れっ子ゴーゴーボーイに。中性的な雰囲気で踊る美少年を、周囲の者は口々にこう噂した。
「男のコなの?女のコなの?なんだかピーター・パンみたいね」
こうして、いつしか「ピーター」と呼ばれるように。
同年12月。クリスマスパーティに招かれ、いつものように踊っていると、偶然出席していた舞台美術家・朝倉摂がこう声をかけてきた。
「映画に出てみないかい?」
アイドルスター・ピーター誕生の瞬間だった。翌’69年、先述のとおり映画『薔薇の葬列』でゲイバーの売れっ子美少年の役をかれんに務め話題をさらい、デビュー曲『夜と朝のあいだに』で同年のレコード大賞最優秀新人賞を獲得。
「私を見た人は、テレビが壊れたと思ったそうです。