渡哲也さん 渡瀬家の墓を妻の菩提寺に…看病48年への恩返し
真夏の日差しを受けて、供花はどこか寂しげに揺れていた。墓標に刻まれていたのは「渡瀬家」の文字。そして傍らには、もう一基の墓標が。
昭和の大スター・渡哲也さん(本名・渡瀬道彦享年78)が、自分の父母、そして愛妻の家族のために作った墓地は、東京都内の古刹にある。
渡さんの逝去が公表されてから2週間ほどがたつ。
「逝去が報じられた翌日には、友人知人たちからたくさんの供花が送られてきましたが、故人の遺志により受け取られることはなく、運んできた車に、再び積み込まれていました。遺骨は自宅の祭壇に安置され、俊子夫人(78)が守っているそうです」(スポーツ紙記者)
肋膜炎、直腸がん、大腸がん、急性心筋梗塞、肺気腫……、生涯で多くの病魔と闘い続けた渡さんの傍らには、いつも愛妻・俊子さんがいた。渡さんと俊子さんは、青山学院大学の同窓生で、兵庫県人会でたまたま席が隣り合ったのが出会いだったという。
「渡さんは兵庫県の淡路島出身。俊子さんは東京出身ですが、父の仕事の都合で高校時代は神戸女学院に通っていたのです。青山学院大学の同窓生によれば、“学生時代も下宿の部屋探しからなにから、俊子さんが渡さんの面倒をみていた”そうです」