渡哲也さん 渡瀬家の墓を妻の菩提寺に…看病48年への恩返し
(渡さんを古くから知る映画関係者)
出会ってから’71年に結婚するまで7年。ようやく始まった待望の新婚生活だったが、翌年から俊子さんは渡さんの看病に追われるようになった。
また渡さんは’74年に大河ドラマ『勝海舟』を肋膜炎のために降板している。当時、俊子さんは週刊誌のインタビューで、渡さんの闘病生活について語っていた。
《とにかく食べさせることに気を遣いました。おにぎりなら食べやすいというので、なかにイクラや肉のつくだにをいれたおにぎりをつくったり、牛肉や野菜を一日煮込んでスープをつくったり……。でも、大変なのは夜でした。すごい寝汗をかくんです。
シーツやタオルケットまで濡れるので、明け方までに3~4回、下着とシーツをとりかえなければなりませんでした》(『女性セブン』’74年2月27日号)
このときの俊子さんは、半世紀近くにわたって、夫の幾度もの大病と闘っていくことになるとは、想像もしていなかっただろう。
銀幕スターとしての矜持も邪魔したのだろうか、渡さんは妻の献身に対して、言葉で感謝の気持ちを表すことは苦手だったようだ。取材のときも俊子さんに関して語るときは、ややそっけなかった。