「とことんやれ」萩本欽一が語っていた妻の“夢追いサポート”
コメディアンの萩本欽一(79)が10月7日の「文春オンライン」の取材に応じ、がん闘病していた妻・澄子さんが亡くなったと明らかにした。
記事によると澄子さんは骨折で入院し、次第に体が弱っていったとのこと。萩本は「スミちゃんは最後までぼくのファンでいてくれた」「優しい三人の子供たちを、しっかりと育てた母親でいてくれた」「スミちゃん、ありがとうね」と語ったという。
そんな萩本は、本誌19年7月23日/30日合併号でも、澄子さんとの結婚生活を回想していた。
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「人生はつねにアドリブ。決まりきった道はつまらない」と語る萩本の“夢”を、澄子さんは常に応援してくれた。
萩本は70~80年代に『欽ちゃんのどこまでやるの!』『欽ドン』『週刊欽曜日』などのテレビ番組がお茶の間で大ウケ。“視聴率100%男”と呼ばれるほど出ずっぱりだった。
もともと仕事人間だった彼は、こう話していた。
「お母さん(澄子さんの愛称)は『仕事が好きなら、とことんやれ』っていう人だったから、気持ちよく夢を追いかけられたしね」
76年、澄子さんと“結婚していた”と発表。さらに7ヵ月になる長男がすでにいるとも会見で明かした。続いて2人の子供に恵まれたが、相変わらず仕事漬けの日々を送っていた。
萩本は“家族を顧みない旦那”と言われないよう日曜は必ず休みを取り、子供たちとの時間を増やしていた。そんなとき、澄子さんはこう伝えたという。
「あなたが無理して楽しそうにしているのはバレバレだし、そういう付き合いをすると、子どもたちがかわいそうだから、やめたほうがいい。そんなことなら、仕事を思いっきりやれば」
その言葉がキッカケで、澄子さんに子育てを一任。
いっそう自身の夢を追うことにした。85年には前述3番組のレギュラーを突如降板。映画や舞台の世界で新たな“夢”を探し、05年には64歳にして野球チーム「茨城ゴールデンゴールズ」の監督に就任した。
その2年後には「24時間テレビ」のチャリティーマラソンランナーとして、70キロメートルのマラソンにも挑戦。さらに15年4月、駒澤大学仏教学部に社会人入試で入学ーー。萩本はあくなき探求心のもと、夢を追い続けた。
「レギュラー番組をやめたときも、『ゴールデンゴールズ』監督になるときも、そして大学受験をしたときも……。『やめときなさい』なんて言われたこともなければ、『がんばって』と直接応援されたこともなかった。
とにかく、“口を出さない、邪魔しない”を徹底してくれていたの」
萩本は「理想の人生を歩むうえで、これほどピッタリの人はいなかった」という。そのいっぽうで「我慢してきたこともいっぱいあったと思うなぁ」と、こんなエピソードを振り返っていた。
「『ぼくが死んだら“欽ちゃん記念碑”を作って、みんなが遊びに来られるような、テーマパーク風のお墓にしたい』と話したことがあったの。今まで○○したい、と話すと『好きなようにすれば』と言われていたけど、そのときだけは、ジーッとぼくの顔を見て『あんた、死んだ後のことまで夢見るのね』と言ってきた。そして、『あんたの最後の夢だけは、私はどかしておいて』って(笑)」
しかし萩本は、「ずっとぼくの夢物語を応援してきてくれたお母さんが、最後の夢にはついていかないとハッキリ言った」と感心の様子。そして、こう続けた。
「『いままで言いたいことはいっぱいあったのよ。でもそれを言うと、あなたの夢が壊れるから言わなかったの』。
そんな意思が伝わってきたよ。実際、お母さんはぼくと2人で入るお墓を買っていたみたいなんだけど、もうそれは手放して、1人で入れるようなところに買い換えちゃったみたい」
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誰よりも理解し、その夢を支えてくれた澄子さん。その生涯に、萩本は感謝しきりだろうーー。
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