【玉置妙憂の心に寄りそう人生相談】本音で話せなかった生前 亡き父と話がしたい
(58歳・女性・主婦)
【回答】
私も、去年の春に父を送りました。だからと言うわけではないのですが、あなたさまの寂しさ、後悔、なんとも言えないやるせないお気持ちが我がことに重なり、沁みてきました。
本当に、この寂しさたるや、どんな言葉を使ってもあらわしきれないものがありますね。
私たちはそれがあまりに苦しいので、少しでも楽になる「折り合いをつける方法」を探してしまいますが、私は、そんなのないと思っているんですよ。
もう二度と会えない人を思い出し、あれこれ考えてしまうことは、たしかにどうしようもなく辛いです。考えれば考えるほど会いたくなるのに、会いたくなった端からもう二度と会えないという現実を突きつけられる。
でも、それが故人を「悼む」ということなのではないかと思うようになりました。
「悼む」というのは、なにも死を悲しみ嘆くばかりではありません。
その人の残した言葉を思い出し、その人の一瞬一瞬の表情を懐かしみ、その人の生きてきた時間を丸ごと慈しむ。その人がここに存在していたということを、決して忘れないでいつづける。それが「悼む」ということだと思います。
だから私たちは、積極的に悼んでいるのです。