2021年7月5日 11:00
かつて結核の治療に携わり今はコロナと闘う 島で唯一の94歳医師
に内科医として勤務することになった。初任給は1万8千円だ。
「当時、結核は“不治の病い”といわれ恐れられていました。今のコロナではありませんが、誤った認識を持つ人がほとんどで、療養所の前を歩くときは、みんな呼吸を止めていたほどです。そのうち特効薬(ストレプトマイシン)が出てきて、結核は“不治の病い”から“治る病気”に劇的に変わりました。それが医師になりたてのころ。医学の力はすごいなと、とても印象に残っています」
■「自分がやるしかない」
約30年、先生は結核治療に当たったが、年々、患者は減り、全国の結核療養所の統廃合が続く時代になっていった。
「このままでは戸馳療養所は廃合される。
戸馳に核となる病院を残したいと、所長と一緒に厚生省(現・厚生労働省)や町役場にも行きました」
しかし、1982(昭和57)年、戸馳療養所は、対岸の三角町の高台に新築された国立療養所三角病院(現・済生会みすみ病院)に統合され、佐藤先生は三角病院の副院長に就任することになった。
佐藤先生は複雑な思いだった。ポツリと言う。「病院は、島外へ移転したという思いでしたね」
佐藤先生は立ち上がった。
「身近なかかりつけ医で診察し、必要に応じて大きな病院を紹介する。