“70代の中学生”働きづめの10代から憧れた教室は「輝いとった」
「それでも中学生活はほんま楽しかった。無駄話をしていたら、先生のチョークが飛んできたり。私は負けん気が強かったので、男子を泣かせて、バケツを持たされて、廊下に立たされたり(笑)」
ずっと笑顔で話していた村田さんの表情が、ここで突然、曇った。
「酒屋の仕事はビールの箱詰めをしたり、自転車で配達したり、まだ1歳にならん店の子の子守。でもほんまにつらかったのは仕事より何より、朝の通学時間やわ……」
言葉が途切れ、みるみる涙がこぼれだした。それまで通っていた中学校は奉公先の酒店の目の前だった。通学時間になると、先日まで机を並べて一緒に勉強していた同級生たちが次々と校門へ入っていく。その楽しげなはしゃぎ声が、村田さんの耳に響いた。
「うちは自分の姿を見られぬよう、店のなかに身を隠して、校門が閉まってから外の掃き掃除をしていました。それでも、学校が終わると、友達が面白がってか、うちが働いてるのをのぞきに来る。それが嫌で嫌でねぇ」
結局、酒店は1年弱で辞め、堺の学生服の店で2年、住み込みで働いた。実家に戻ってからも、昼はミシン工場、夜は母の内職の手伝いという日々が続く。
継父が花街の働き口を持ってきたのは、16歳のときだった。