2021年10月18日 06:00
“女性はお茶くみ”の80年代に「自立した女性」体現した杏里の生き方
、『CAT’S EYE』『悲しみがとまらない』(ともに’83年)と曲の幅を広げ、ヒット曲を連発するようになったのです」
注目されたのは、歌ばかりではない。
「スラリとしていて、脚も長く、輝くようなワンレンヘア。そのビジュアルにも“かっこいい女性”の要素がつまっていました」
’86年に男女雇用機会均等法が施行されるなど“女性の自立”の機運が高まっていた時代。
だが、実際に社会が変わり始めるのは’90年代後半からで、職場ではまだ当たり前に“女性社員はお茶くみ”と決めつける古い慣習が続き、閉塞感が漂っていた。
「そんな時代に、歌って、踊れて、スタイルも抜群で、ミュージックシーンの最前線で活躍する杏里は、バリキャリ志向の女性たちのあこがれでもありました」
花王のCMに起用された『思いきりアメリカン』(’82年)は失恋ソングだが、その歌詞も曲調も決して暗いものではなかった。「彼氏と別れ、サンタモニカでひとり自由にバカンスを楽しむという前向きな内容。女性がひとり旅に出ようものなら、親の世代から“死にに行くのではないか”などと本気で心配されるような時代にあって、“いつかは、この歌のようにひとりで海外を旅したい”と夢を乗せた人もいたはずです」