王理恵 姉妹3人正座で…不満だった“父・王貞治のナイター観戦”
「父がテレビで渡哲也さんの『くちなしの花』(’73年)を歌う企画があったようで、その練習のためだったと思います。映画にカラオケと、子どもにとっては夢のような一日でした」
■王貞治の娘として感じていた息苦しさ
一方で“王貞治の娘”として、厳しい家庭に育った息苦しさもあったという。
「『お父さんに迷惑がかかるようなことをしてはいけない』が母の口癖で、高校生になっても、友達とコンサートに行くなんて、とんでもないことでした。ただ、家に脅迫まがいの手紙が来ることもあったそうなので、娘たちを守るためという意味もあったのだと、いまとなってはわかるのですが、当時の私にはそんなことまで考えが及ばなくて」
さらに小学校から高校まで通った私立の一貫校は、お嬢さま学校として有名で、校則も厳しかった。
そんな境遇のなか、思春期を迎えた理恵さんには、自然と反抗心が芽生えてくる。「複雑な気持ちを抱えながら過ごしていた高校生活で、いまでもよく覚えているのは、文化祭の準備に追われて、学校に遅くまで残っていたときのこと。最終下校時に放送される“追い出しソング”がなぜか、尾崎の『15の夜』(’83年)だったんです。