王理恵 姉妹3人正座で…不満だった“父・王貞治のナイター観戦”
薄暗くなった校舎で聴くと、まるで歌の世界に入ったかのような感覚になって、衝撃を受けました」
お嬢さま学校特有の雰囲気のなかで、「尾崎を聴いている」とは誰にも言えず、1人でレコードを集め、尾崎にのめり込んでいったという理恵さん。
「家にも学校にも反発する気持ちはあるけど、何にもできない自分がいて……。尾崎が歌う自由や愛や夢は、すごく共感できたんです。『ダンスホール』(’85年)という曲を聴いて“親が絶対に許してくれないダンスホールって、どんなところなんだろう?華やかな女性がたくさんいるんだろうな”って、想像にふけったりすることもありました」
高校を卒業後は、青山学院大学に進学。
「尾崎が付属高校を中退していたので、同じ学校に通うことに、勝手に運命を感じていました」
社会に出て30年近くたった現在も、“尾崎愛”が色あせることはない。
「尾崎と出会った曲でもある『15の夜』はいまでも大好き。『僕が僕であるために』(’83年のアルバム『十七歳の地図』に収録)は私の元気ソングで、ゴルフ場に行く車の中でかけたり、モヤッとしたとき、スッキリするために聴いたりしています。尾崎の曲のように、ちっちゃなことで傷ついたり、人間関係に悩んだりしたとき、心に寄り添い、バチッとハマる音楽が、’80年代にはたくさんありましたよね」
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