2021年12月6日 06:00
常識破りの“ママドル”ポジション開拓!松田聖子の巧みな自己プロデュース力
住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、あんなふうになりたい!とあこがれたアイドルの話。活躍する同世代の女性と一緒に、“’80年代”を振り返ってみましょう――。
「’88年、ママドルとなった聖子さんは、東京・自由が丘に『フローレス・セイコ』をオープン。パステル調のかわいらしい子ども服が大人気で、ママ友にプレゼントすることがステータスになったほど、ブランド力がありました。タレントショップが数多く乱立する中、抜群の知名度と人気で一線を画し、店には行列ができたものです。聖子さんの自己プロデュース力には、驚かされます」
そう話すのは、世代・トレンド評論家の牛窪恵さん(53)。
松田聖子は’85年1月、郷ひろみとの破局を告白する会見で「生まれ変わったら一緒になろうねと話した」という名言を残してほどなく、同年4月に映画『カリブ・愛のシンフォニー』(’85年)で共演した神田正輝との婚約を発表。
続く6月に結婚式を執り行い、年末から休業に入ると、翌’86年10月に長女・沙也加を出産。
’87年4月にはシングル『Strawberry Time』で本格的に復帰した。