氷川きよし「プライベートない」語り続けた仕事人としての23年
「ここで一旦お休みをいただき、自分を見つめなおし、リフレッシュする時間をつくりたいという本人の意向を尊重しこの様な決断に至りました」
1月22日、歌手の氷川きよし(44)が年内で活動を休止すると公式サイトで発表した。休止期間は未定だという。
’00年2月2日にシングル『箱根八里の半次郎』でデビューを果たした氷川。以降23年間、“演歌界のプリンス”として第一線で活躍してきた。その歩みを氷川本人が本誌に語った言葉とともに振り返ろう。
’77年9月6日、福岡県福岡市に生まれた氷川。演歌に目覚めたのは16歳の頃だという。
「ある時、ふと耳に入ったのが鳥羽一郎さんの『兄弟船』でした。
今まで演歌を聴いたことのなかった自分にとって、それはもう、ホントに衝撃だったんです。歌い上げるコブシの気持ちいい感じ、カッコよさにハマってしまったんです」(’00年6月6日号)
高校3年生のとき、オーディションでスカウトされて上京。その後、3年間の下積みを経て『箱根八里の半次郎』で氷川はデビューを果たした。22歳のときのことだった。
すると中高年の女性たちを中心に人気が爆発し、いきなり67万枚以上を超える大ヒットを記録。さらに『第42回日本レコード大賞』や『第33回日本有線大賞』で最優秀新人賞を受賞し、『第51回NHK紅白歌合戦』にも初出場。一気にスターダムにのし上がった。
その後も’02年の『きよしのズンドコ節』を筆頭にヒットを連発。
’05年3月には、冠番組である音楽バラエティ『きよしとこの夜』(NHK総合)もスタートした。同番組は、彼にとって一つのターニングポイントだったようだ。
「著名な方々がたくさんゲストにきてくださって、毎週毎週、緊張というか、気負いもありました。20代でしたし。新しい歌、特にポップスを歌うこともあって、覚えるのは大変でしたけど、すごく勉強になりました」(’14年2月11日号)
そして’04年2月、デビュー5周年に。多忙な日々を送るなか、それでも氷川は目を輝かせながら目標を明かしていた。
「お陰さまで、アッという間の5年目。でもまだそんな感じはしないですね。
自分の道をまっしぐら。いろんなジャンルにも挑戦したい。また、謙虚でいたいですし、感謝の気持ちを忘れないようにしたいですね。人気も、もっともっとあったらいいな。もう歩けなくなるくらいに(笑)」(’04年2月17日号)
■母の手術が心配…それでも仕事を最優先に
氷川は本誌’04年7月20日号で「歌で世の中が変わると思うんです」と語っていた。“歌の力を信じ、謙虚に我が道を”という彼だが、仕事とプライベートのバランスがとれないこともあったようだ。本誌’05年6月7日号では「去年、お母さんが手術した」といい、こう明かしている。
「ちょうど僕が『ドドンパ祭り』をやってるときに、手術していたんですよ。
いま初めて話すんですけど……。お母さんがいま手術しているんだ、というのがずっと頭の中にあって。その直後に、自分も倒れちゃって、もう心配で心配で仕方がなかった」
また同年9月、座長公演の千秋楽で氷川は「1ヵ月間、風邪をひきかけたりして不安になったときもありましたが、みなさんのおかげで乗り越えることができました……」と涙ながらにファンへの感謝の言葉を口にしていた。
その後’06年には『一剣』で日本レコード大賞を受賞し、’08年の『第59回NHK紅白歌合戦』では白組の大トリを務めることに。
そして氷川は’10年、デビュー10周年となる。その記念インタビューでは、仕事を最優先にしてきたために「1週間自由に使えるとしたらですか?デビューしてから仕事で全国を回っていますが、ゆっくりとすることがなかったので、旅行なんていいですね」(’10年9月28日号)とコメント。そのいっぽう、さらなる10年に向けてこう意気込んでいた。
「デビューから満10年を迎えて、自分ではやっと大学を卒業して社会人になれたような気持ちでいます。
いろんな勉強をさせていただきました。歌手としてこれからが本当のスタート。10年間学んだことを無駄にしない次の10年でありたいと思います」(同号)
■「マイクが剣で、衣装が鎧」
歌手として順風満帆な氷川だが、悲しい別れも経験している。それは’12年5月のこと。育ての親である所属事務所の会長・長良じゅんさん(享年74)が急死したのだ。長良さんの訃報の直後、氷川は本誌にこう述べている。
「今の僕があるのは、会長のおかげです。本当に感謝しています……。
会長は僕のことをいつも『きよし』と呼んで、笑顔で、僕のグッズの“HK”ロゴが入った帽子をかぶってくださっていました。(中略)1カ月半くらい前には、夜12時ごろに少し酔っていらっしゃる様子でしたが電話があって『きよし~俺はお前のこと愛しているからな!』と。『ハイ!ありがとうございます!僕も会長のこと愛しています!』と答えて、すごく会長からの愛を感じましたね」(’12年6月12日号)
恩人の死を乗り越えて’14年2月にはデビュー15周年に。当時“歌”について、こう語っている。
「歌って、僕にとっていちばんの武器っていうか……あらためて、僕の手段というか、訴えていけるものだし、伝えることができるものだと実感しているんです。口数多くしゃべるよりも、3分間、1曲の歌を歌えば、その方の心に伝わっていくんだなって。歌うためのマイクが剣で、衣装が鎧のようなものですかね」(’14年10月21日号)
続けて、「心から、心を込めて、歌い続けていきたいですね、20周年に向けて……って、もう20周年のことを考えたりして。新たな設計図を描かなければならないですからね。
また考えごとが増えちゃいます(笑)」とも述べていた。
■「40代は、“人生これから”。自分の時間を大切に」
氷川は’17年12月、『第50回日本有線大賞』で歴代最多となる9回目の大賞を受賞。その2ヵ月前には『限界突破×サバイバー』をリリースしている。同曲はテレビアニメ『ドラゴンボール超』(フジテレビ系)のオープニングテーマであり、氷川にとって新機軸となるロック調の楽曲。これまでのイメージを打ち破ったことが歌手としての自信に繋がったようだ。
「上の世代の方にも時間をかけて自分の思いを伝えていくというのが、いま、氷川きよしがアーティストとしてあるべきスタイルだと思っています。カテゴライズされるのではなく、独自の世界を築いていきたいです!」(’ 21年3月23日・30日合併号)
デビュー20周年イヤーの‘19年5月、『限界突破×サバイバー』のライブ映像が日本コロムビアの公式YouTubeアカウントで公開されることに。約10日で再生回数100万回を突破し、現在はなんと1100万回を記録。いまや新たな代表曲となっている。
歌手生活20年となっても、「プライベートはありませんね(中略)忙しくても、休みたいとはあまり思いません。この仕事が好きなんです」(’20年1月21日号)と相変わらずの“仕事人ぶり”を明かしていた氷川。そのいっぽう不惑を目前に控えた際には、こうも語っていた。
「40代は、“人生これから”。自分の好きなことをやっていって、自分の好きな音楽を見つけたいです。自分の時間を大切にしたいとも思っています」(’17年9月19日号)
23年もの間、脇目も振らず駆け抜けてきた氷川。リフレッシュのあとの“これから”にも期待したい。