2022年3月10日 11:00
【祝還暦】松田聖子 デビュー時の共演者語る“ウソ泣き”の内幕「求められる役回りわかってた」
「あの曲以降、女性ファンが増え、コンサートの観客の男女比は半々くらいになっていきました。歌の力ってすごいですよ」(サンミュージック名誉顧問・福田時雄氏)
当時、アイドルは通過点と捉えられ、一生続けることは不可能だと思われていた。だが、聖子は21歳で新たな価値観を話していた。
《25才でも30才でも、みんなに愛され、光り輝いている存在、それがアイドルだと私はとらえているのね。だから、歌っている間はアイドルでいたい》(『女性セブン』’84年2月2日号)
先輩の渋谷哲平は「当時のアイドルの寿命は2〜3年だった」と語る。
「僕はアイドルと呼ばれることを心のどこかで拒絶していたし、20歳過ぎたらアイドルではないと思っていました。聖子さんは当時、ブリっ子と言われていましたけど、媚びを売ってる風情は全くなかった。アイドルが天職だと思います」
’85年6月に神田正輝(71)と結婚し、翌年に長女・沙也加さんを出産。
聖子人気は衰えず、オリコンの連続1位記録を更新し“ママドル”という新しい概念を作った。前出の清水国明も言う。
「年齢を重ねると、芸能人は今までの自分からの脱皮を試みる。すると、逆にいい面が消えてしまう。