母娘でNo.1運送ドライバーの夢 女性比率2%台の“トラガール”
出店の店番もしなくちゃいけなくて、泣く泣くドラコンを辞退しました」
これに大きく落胆したのが、増田監督だった。
「実は、私は1回目の出場時から彼女の優勝を狙っていました。達成できると思ったのは、ふだんはどこか天然なところもある彼女ですが、いざ学科の勉強が始まると、熱心にノートを取り、ガンガン質問もするタイプなんです。そのまじめさとあのセンスがあれば万全、と思ったんです。
あとは、物怖じしないハートの強さ。実は私自身、ドラコン挑戦組の第1号でもあります。でもね、本番になると緊張しぃで、県大会止まり(笑)。それを彼女は、淡々と『楽しんで乗ってきます!』と言ってのけます。
子供会で『今年は無理です』と聞いたときはがっかりしましたが、ああ、名ドライバーもお母さんなんやなぁと、改めて思いましたね」
翌年も子供会の役員をしていて出場できずに、ようやく20年秋に今年こそと思っていたら、コロナ禍で大会そのものが中止に。
「ですから、21年秋のドラコンは、私には、まさしく、最後のチャンスと思って臨みました」
石原さんが“最後”と言うのは、大会の規定で、全国大会へのチャレンジは一人2回までと定められているからだ。