2022年5月25日 15:50
松重豊“死神”梶原善が若手時代にバイト…下北沢の中華料理店が繋ぐ40年の絆
松重さんはその後すぐ、蜷川幸雄さん主宰の劇団に移りますが、梶原さんは“三谷組”の不動メンバーとなります」(劇団関係者)
松重は『週刊朝日』’21年3月12日号でこう振り返っている。
《僕は当時、三谷幸喜には才能がないと思ったんです。(略)あのころ僕が「才能がない」と思ったのは大間違いですけど、今も仲良くしてますよ。何者でもないときに同じ釜のメシを食ってた感覚があるので、全然違うところでやってますけど、常に僕の励みになっています》
松重、梶原、三谷が出会う契機となった「珉亭」時代について、松重はテレビでこう語っている。
「行列のできるラーメン店の走りみたいな店だったんで。とにかく忙しかった。声のでかいやつは役者かバンドマンだろうって入ってきて、たまり場みたいになって……」
今も家族団欒は「珉亭」で培った餃子を手作りするときだと公言する松重。前出の二瓶さんは言う。
「豊君は本当に義理堅い。以前一緒にお店で働いてた人が亡くなって3年ほど前に偲ぶ会を開いたときも来てくれました」
肉汁ほとばしるような松重の「珉亭」愛ゆえ、退職後食べに行かない梶原に“孤独グルメ”はダメだと力説したのだろう。