ディスコの“お立ち台”から男性を見下ろし抑圧を発散!
(写真:読売新聞/アフロ)
住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代、ボディコンを着て踊ったディスコの話。活躍する同世代の女性と一緒に、“’80年代”を振り返ってみましょうーー。
■“お立ち台”から男性たちを見下ろして発散
「テレビや雑誌といったマスメディアの発信する流行に、多くの人が追随する−−。マーケティング用語である“バンドワゴン効果”はディスコにも見られました」
そう話すのは、世代・トレンド評論家の牛窪恵さん(54)。
ディスコブームは、大阪に1号店をオープンし、’84年に東京へと進出した「マハラジャ」が火付け役となり、「ジュリアナ東京」(’91〜’94年)まで続いた。
「大学生も大挙してディスコへ出かけました。今の若者は地元志向が強いですが、’80年代の首都圏の大学生は、地方出身者が半数かそれ以上。そんな“上京組”にとってディスコは、都会にいることを実感させる場所だったのです」
バイト先の先輩、有名大学のおしゃれな男子学生などの人脈を駆使してパーティ券を入手し、バイトでためたお金で買ったボディコン服で着飾って、入口での黒服による服装チェックをくぐり抜け入店することが、イケてる女子大生への登竜門だった。
「大学への通学時、駅のコインロッカーに服を預け、夜、公衆トイレなどで着替えてから、ディスコに繰り出したりしたものです。車を持っている彼氏に送り迎えしてもらっていた人も多いでしょう。一方、社会人は残業後、夜の10時ぐらいから深夜まで遊び、翌朝には普通に出社していました」
栄養ドリンクの“24時間戦えますか”というキャッチコピーが話題になったのも、この時代。
「ディスコミュージックがガンガン流れる中、学生も社会人も一緒になり、みんなが本気で踊る。つまり『乾杯』と同じなのです。今は“乾杯は、みんながビールじゃなくても、カシスソーダやウーロン茶の人がいてもいいじゃないか”という時代。でも当時は、全員がビール片手に乾杯することで、一体となって盛り上がりました。ディスコでも、同じ空間の中、似たような服装で、お決まりのポーズで踊っていました。
そして明日からまた頑張って日本を豊かにするんだーーと、みんなが一つの方向に向かっていたのです」
さらにディスコは、女性が輝ける場所でもあった。
「当時の多くの女性は、ドライブでは“助手席の華”、酒席では“男性へのお酌係”という扱いでした。しかしディスコには“お立ち台”があり、女性はそこから男性を見下ろすことができたのです」
女性たちにとって当時のディスコは、明るい未来へ向かう一体感が味わえ、男性優位社会による抑圧を発散できる場所だったのだ。
【PROFILE】
牛窪恵
’68年、東京都生まれ。世代・トレンド評論家でマーケティングライターとして『ホンマでっか!?TV』フジテレビ系)など多数の番組で活躍
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