泉ピン子語ったえなりかずきの“共演拒否”騒動への思い「悪口を言われても気にしない」
への出演で、人気は全国区に。同時に女優業も始めると、’83年からの『おしん』の母親役で大ブレーク。さらに’90年にスタートした『渡る世間は鬼ばかり』では、12ページもの長台詞で知られる橋田脚本を見事に演じ切り、演技派としての地位を確立した。
「泉ピン子の芸名は、大好きだった父が付けてくれた。ピンからキリまでのピンで、それまでこの芸名で売れた人がいなかったようで、「ジンクスを破れ」との親心が込められていたようね。
41歳で、4歳年下の医師の武本憲重さんと電撃結婚したときは、「逆玉婚」として話題に。すでに売れっ子女優だったピン子に対して、夫は「初任給18万円」と、新妻となった彼女自身が明かしたからだ。
しかし、結婚から5年目に発覚した夫の「隠し子」騒動では、「許します。
私に子供ができればよかったんですが」との号泣会見で、これまでのタフな女のイメージを覆し、日本中を驚かせた。
「あの会見も、全部、橋田先生の演出。だって、『あなたが夫を捨てれば、その後の女優人生でも、“夫を奪われた女”のイメージがつきまとう』そう言われてしゃべっているうちに、女優だから気持ちも入って自然に号泣になったんだけど、フタを開ければ、わざとらしいと、大バッシングされたわよ(笑)。