2022年8月7日 06:00
【御巣鷹山から37年】遺族の闘い「裁判に勝って、すべての真実を明らかに」
「あるとき突然電話がかかってきて、私を『監視するためにわざわざ関西に来ました。ずっと見ているから』と言うんです。その後も計3度ほど、電話で言われました」
だが、そもそも遺族の疑問は、「日航側が一度も事故原因の説明をしていない」ことに起因する。
「なんの説明もないから、遺族は疑問をぶつけようがない。論点の整理もできない。『取り合わない~はぐらかす』の繰り返しで疲弊させられるばかりでした」
そんななか、遺族は最終手段として訴訟を“試みた”のだが……。
1986年4月、日航、ボーイング社、運輸省各幹部を業務上過失致死傷罪と航空危険罪違反で告訴するも、1989年11月の東京地検、1990年7月の前橋地検ともに不起訴処分。
民事では1986年7月、吉備さんら70人が米国ワシントン州で損害賠償請求をしたが、「日本の裁判所で決定すべき」とされ、1990年8月に同州最高裁が上告棄却。
同月、公訴時効が成立してしまった。
ほかに損害賠償請求は計32件あったが、すべて「和解」し、真相究明にはほど遠い決着に甘んじた。
「遺族の疑念は報告書の完成で封じ込められました。遺族の悪口を吹聴する世話役もいて、遺族間の分断が狙いだったんでしょうか。