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羽生結弦 恩師ブライアン・オーサーが語っていた本音「ユヅルのコーチは重圧だった」

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羽生結弦 恩師ブライアン・オーサーが語っていた本音「ユヅルのコーチは重圧だった」

(写真:アフロ)



「会えていない期間がすごく長いので、『ありがとうございました』『これからもよろしくお願いいたします』と、早く挨拶に行きたいなと思います」

8月10日に仙台で公開練習を行った羽生結弦(27)は、恩師ブライアン・オーサー(60)をはじめとするカナダのスタッフへの思いを報道陣に聞かれ、そう話した。

現場で羽生を取材していたスポーツライターの野口美惠さんは、この言葉を受けて、さっそくオーサー氏本人にメールをしたという。

「羽生くんの言葉を翻訳してブライアンに送りました。ブライアンからは『すごくうれしい言葉だし、10年間のいろんな思いが入っている言葉だね』と返信がありました」(以下、「 」は野口さん)

長年、羽生を取材する野口さんは、彼を指導するオーサー氏へのインタビューも折に触れて行ってきた。7月19日に羽生がプロ転向を宣言する会見を行った1週間後の26日にも、オーサー氏にリモート取材。その心境に迫っている。

「羽生くんからブライアンに連絡があったのは、プロ転向会見の2〜3日前。メールだったそうです。
『競技をやめることにした。今シーズンから試合に出ない。プロとしてやっていく』という内容。そして『ありがとう』という言葉があったといいます。『会見は日本でやるからそれまで誰にも言わないでください』とも。それに応えて、ブライアンは『プロの世界で頑張ってね』『いつでも帰っておいで』と返したそうです」

7月まで進退が明らかにされていなかった状況に、オーサー氏も“もうワンシーズンやるのだろう”と思い始めていたころだったようだ。

「試合に出たら表彰台には上がれる状況ですから、『ユヅルならまだ続けるかもしれないと思っていた』とブライアンは話していました。プロ転向の決断を聞いての心境は『すごくうれしい』と。
自分が育てた選手がちゃんと結果を残して満足して次のステージに行くのを、喜ばしく感じているようです。

一方で、4回転アクセルへの挑戦を続けるということには驚いてましたね。いかに難しいかも、いかにあらゆるアプローチをしてきたかも知っていますから。ただ、『まだ試していないアイデアもあるから、ユヅルが必要としてくれたら手助けもするし、楽しみだ』とも言っていました」
■時には衝突も…「僕が子離れできずにいた」

羽生がオーサー氏の指導を受け始めたのは’12年4月からだ。

「当時、17歳の羽生くんは『ソチ五輪に出て、平昌五輪で金メダルを取る』とブライアンに言ったそうです。それを聞いてブライアンは『いいね、いいね。できるね』と答えたといいます」

その後、オーサー氏の指導のもと急成長を遂げ、ソチでも金を狙うことに。五輪2連覇につながっていくわけだが、羽生にとってカナダでの日々はスケート一色。


「ブライアンが食事や遊びに誘っても、絶対に羽生くんは来なかったそうです(笑)。もちろんほかの誰が誘っても行かない。ほかの生徒は毎年夏、ブライアンの別荘に行って一緒に湖で泳いだりするんですが、羽生くんはそれにも来ない。練習以外は外出せず、すべてをスケートに懸けている。すごくストイックです。ブライアンも寂しがったりせず、“それがユヅルだから”と理解していたと思います」

時には意見が衝突したことも。

「ブライアンは『最初は僕のほうが子離れできずにいた』と言っていましたね。コーチとして『こうしたほうが勝てるよ』と助言すると、『でも僕はこうやりたい』と羽生くんが言う。
そんなふうに相いれない時期もありながら、お互い歩み寄るという時期もあって、それを繰り返してきたんです。まるで、ぶつかり合いながらも成長していく親子関係のようですよね」

オーサー氏は羽生のコーチとして、重圧も感じていたそうだ。

「彼は『ユヅル・ハニュウはひとつのブランドのようなもの。僕自身もかつてない重圧を感じていた。僕まで監視されているような気がした』とも話していました。羽生くんを指導するということは楽しいことである一方で、ものすごい責任とプレッシャーを感じていたようです。やはり五輪となれば、コーチの一言で運命が変わってしまうこともありますから」

コロナ禍に入った’20年以降、羽生は仙台で練習をすることに。カナダのオーサー氏とはリモートでやりとりを続けるなかで、’22年2月の北京五輪を迎える。
この五輪でオーサー氏は羽生の演技するリンクサイドに立たなかった。

「北京五輪の直前になって、羽生くんから『一人でやります』と伝えられたそうです。ブライアンにしたら本音はサポートしたかったかもしれません。でも、『27歳で迎える五輪で、しかも3回目。口出しするものじゃないとわかっていた。たぶん最後の五輪だから、ユヅル本人がかじ取りをしたいと思うなら尊重することにした』と言っていました。

以前、ブライアンが指導していたキム・ヨナは、バンクーバー五輪で金メダルを取った後に、理由がわからないままケンカ別れのようにカナダから去ってしまった。その経験があるから、ブライアンは違う国籍で違う言葉を使う生徒の気持ちをコントロールするのは難しい、ということもわかっているんです。
だからこそ、『ユヅルが“一人でやりたい”と伝えてくれたから、それでいいんだ』と言っていました」

野口さんはブライアンから羽生へのメッセージも託されたという。

「『自分らしく、ユヅルらしく。これまでと違って順位とかわかりやすい評価がないだけに、自分がやっていることが正しいか迷うこともあるかもしれない。そんなときは、自分らしくある限り、成功なんだ』と。そう伝えてほしいと言っていました。『ユヅルがコーチになるかは別にして、一緒に子供たちを教える機会があったら、それ以上の幸せはない』という夢も語っています」

衝突も経てきた2人。笑顔で抱き合いながら、10年間をねぎらい合う時間は、きっともうすぐだ。

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