拒食症で体重が半分に…かつて食を恐れた少女が「みんなでおむすびを握る」ワークショップ主催へ
幾多の学問のなかから自分の進みたい道を選択できるという、拒食症を通じ多くのことに興味を持つようになった彼女にはぴったりの進路だった。
■就職して農家などの生産者を取材し、「命に支えられている」と気づく
大学生となり、初めて親元を離れての生活も始まった。
「新歓コンパでジュースを飲んでいる自分に驚いたり(笑)。友達も次々にできたりで、拒食症は入学後には完治していたと思います。でも、まだ自分が拒食症だったという、いわゆるカミングアウトはできていませんでした」
そんなとき、東日本大震災が起き、さらにその10日後、今度は母親がクモ膜下出血で倒れて危篤に陥る。幸い発見が早く、その後回復したというが。
「この2つの出来事があって、改めて生と死について考えました。少し前まで、私自身も拒食症で死と直面していたわけです」
そして、思った。
「私は今まで、命に対して誠実だったろうか。もっときちんと向き合い、自分のやりたいこと、できることをやらなければ、この命に対して申し訳ない」
同じころ、「香菜は、拒食症だったからこそできることがあるのでは」という友人の言葉にも背中を押された。
「その後は、積極的に東北の被災地支援にも行きましたし、自分たちで団体を作ってトークイベントや100人規模のキャンプを企画したりで、それまでの低迷期(笑)