「DNA」「魂」…四代目がこだわり続けた「澤瀉屋の証明」猿之助4代150年の明と暗
澤瀉屋のDNA”にこだわっていた四代目猿之助
市川猿之助による心中事件から約2カ月、いまだ歌舞伎界の激震は続いている。子供が老いた両親を……、そんな悲劇とともに、人々の記憶に刻まれることになった屋号「澤瀉屋(おもだかや)」。彼らは傍流であるがゆえに、常に革新を求め続けなければならず、ときには邪道と批判されることもあった。四代目が襲名するまで、「神様にも等しい」と憧れていた“猿之助”という名跡の宿命をあらためて振り返る。
「スーパー歌舞伎」などで話題は集めても邪道と批判され、孤独感も味わっていた三代目市川猿之助(83・二代目市川猿翁)を支えたのが藤間紫さん(享年85)。三代目の舞踊の師匠・六代目藤間勘十郎の妻だった女性だ。
三代目は1965年に女優・浜木綿子(87)と結婚。長男・香川照之(57)をもうけながらも16歳年上の紫さんと道ならぬ恋に落ちる。
2人の関係は“世紀の恋”と世間を騒がせた。香川は母・浜さんに育てられ、46歳まで歌舞伎の舞台に立つことはなかった。
実は本誌は、生前の紫さんに三代目との“なれそめ”を取材したことがある。
「彼のどこに惹かれたのか?」という記者の問いに彼女は「かわいそうで見ていられなかった」