宮﨑駿監督 捧げ続ける『ナウシカ』製作中に逝去した病弱母への愛…新作映画にも投影
監督が小学校に入学したころ、美子さんは結核菌が脊椎に入り、脊椎カリエスを発症、9年間も闘病生活を余儀なくされたのです。
’08年に放送された『プロフェッショナル仕事の流儀 宮崎駿のすべて~「ポニョ」密着300日~』(NHK)では、幼い駿少年が、『おんぶしてほしい』と美子さんにせがんだとき、母から『できない』と涙ながらに断られたというエピソードも明かされています」
寝たきりの時期も長かった美子さんだが、やさしい女性であるだけではなく、勝ち気で活発な面もあったという。
「その後、美子さんは回復しましたが、’83年に監督が『風の谷のナウシカ』(’84年公開)を製作中に逝去。それは監督にとって大きな痛手となったそうです。以降、実母を投影したキャラクターを作品に登場させることになったのです」(前出・映画関係者)
宮﨑監督は、母の喪失についてインタビューでこう語っている。
《おふくろが死ぬときに、僕は“死”ということについてまったく触れることができなかったんです。親父のときもそうでしたけれど、やっぱりそのときに“死”について真正面から向き合って話ができなかったってことが、一種の悔やみとして残っているんです》(’02年出版の『宮崎駿の原点―母と子の物語』より)