くらし情報『袴田巖さん姉・ひで子さん明かす苦難「『巖はもうダメかいね』そう繰り返しながら母は死んだ」』

袴田巖さん姉・ひで子さん明かす苦難「『巖はもうダメかいね』そう繰り返しながら母は死んだ」

支援者の車でドライブに行く巖さんとそれを見送るひで子さん(写真:落合由利子)

支援者の車でドライブに行く巖さんとそれを見送るひで子さん(写真:落合由利子)



映画上映会の最中に、『火事だ!』と叫ぶ声が聞こえて、ひょっと見たらウチの方角から火の手が出ていたの。“こりゃいかん、ウチに燃え移る”と思って、急いで巖の手を引いてウチに戻り、タンスの引出しを1つずつ引っ張り出して、私ひとりで近所の畑まで運び出しました」

おかげで家財道具は焼失を免れた。

「そのとき巖が運んだのは、飼っていた小鳥と、母親が煎ってくれた落花生が入った鍋だけ(笑)。巖は、そんなのんびりした優しい子だったのよ」

終戦後、ひで子さんは15歳で地元の税務署に就職。女性はお茶くみ係で、結婚までの腰掛けという時代。

「私は、そんな仕事じゃ満足できんし、一生、夫に扶養されるような人生はイヤでね。

だから手に職をつけようと、仕事終わりにそろばんやタイプライターを習いに行ったの」

しかし、スキルを磨いても、任される仕事は帳簿整理だけだった。「これではいかん」と思ったひで子さんは、13年間務めた税務署を退職。
28歳で税理士事務所に転職し、本格的に経理を身につけていった。仕事をバリバリこなす一方で、恋多き女性でもあった。

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