「袴田事件」姉弟愛が拓いた再審の道! 姉・ひで子さん「48年ぶりに確かめた弟の手の温もり」
ひで子さんと暮らす家でリラックスして眠る巖さん(写真:落合由利子)
お金を貸してくれたから(笑)、巖と一緒に住むためのマンションを建てることにしたの」
ローンは約20年かけて79歳で完済。この間、ひで子さんは経理の仕事を続け、自身は無料の社宅に住んで、マンションの賃料をローン返済に充てた。
「よくそんな年で、と言われたけど、60だって100だって、やるときゃやるのよ(笑)」
そう言って、豪快に笑うひで子さん。この人並みはずれたバイタリティが弁護団や支援者を巻き込んで、事態を好転させていく。
第一次再審請求の特別抗告が続いていたころ、第一審で巖さんの死刑判決文を書いた元裁判官の熊本典道さんが、〈私は無罪を確信していた〉と公表したのだ。
一審当時、裁判官3人のうち熊本さんは唯一無罪を主張した。しかし、最終合議では2対1で敗れて、信念に反して有罪の判決文を書き、長年、自責の念を抱えていたという。
「“今さら”と怒る人もいたけど、黙っている役人が多い中で告白してくれたことがうれしかった」
この熊本さんの告白が、巖さんの“無罪”を世に強く印象づけることになる。
続いて、支援者の一人で「袴田巖さんを救援する清水・静岡市民の会」